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釈迦如来、お釈迦さまの話-その19-

仏像の展開 初期の仏像はお釈迦さま、釈迦仏の像で、なかには過去仏を表わしている場合もありますが、まったく同形像で区別はつきません。大乗の諸仏、薬師仏、阿弥陀仏の像が仏像の初期の時代に含まれていたか否かは不明です。逆に言えば薬師仏、阿弥陀仏の像が何時頃から制作されたかの究明は実はかなり難しいのです。それよりもインド・西北インドから北廻り、南廻り、あるいは西まわりで世界各地に広がった跡を追跡する必要があります。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その18-

仏像 ここでお釈迦さまを礼拝のために彫刻に彫り、絵画に描いた仏像について話します。仏像には広狭の用法があり、ふつうには仏陀像を指しますが、広い意味では仏教の諸尊像をすべて包含します。両者とも本来は彫像・絵像の別を問いませんが、一般には彫像のみについて仏像といい、これに対して絵像の場合を仏画と称して区別します。仏陀像は元来仏教の開祖である釈迦牟尼の像に限られていましたが、仏教の教え、仏教思想の深化とともに釈尊の悟りの由来や情況を説明するために過去仏や十方仏,その他の種々の仏陀、如来を出現させ、彫像に彫りました。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その17-

ガンダ-ラ以外の仏像彫刻の発生 パキスタン北西部のペシャワール地方の古名であるガンダ-ラで紀元前後より数世紀にわたってギリシア彫刻の影響を受けて仏像が作られてガンダ-ラ美術と呼ばれますが、これとは別に2世紀のインド北部のマトゥラ―式彫刻ができました。ガンダ-ラ式仏像が思索する面立ちで「人生は苦なり」その根源を探して苦悩に満ちた釈尊から、マトゥラ―式はさとりを開き、成道した喜びを顔面いっぱいというより体中で表現しようとした仏像です。さらに4世紀のグプタ式に発展すると、最も洗練された釈迦像が刻まれるようになりました。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その16-

釈迦像の作成問題 釈尊の像、すなわち釈迦如来像は彫刻や絵画が釈迦と釈迦の教え、仏教が広まったインド、アフガニスタン、中央アジア、中国、朝鮮、日本、さらにスリランカ、ミャンマ-、タイ、カンボジャ・ラオス・インドネシア・ベトナムなどに残されています。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その15-

釈迦の生涯が信仰の対象に 釈尊は釈迦国の首都カピラ城から南方マガダ国との中間にあるクシナ―ラ―という地方都市で80歳の生涯を閉じました。釈尊が没すると、その遺体は荼毘(火葬)に付されて、その舎利は生前に釈尊と関係の深かった諸方の国王や種族の間で八等分され、各地で舎利塔を建てて祀られました。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その14-

釈迦入滅直後の仏弟子・教団の形成 釈尊は釈迦国の首都カピラ城から南方マガダ国との中間にあるクシナ―ラ―という地方都市で80歳の生涯を閉じました。釈尊が没すると、残された多くの弟子のうち、500人の最も優れた阿羅漢たちは、釈尊の教えが正しく伝えられるために、マガダ国王舎城外において、3カ月間一堂に会して、釈迦の教法としての「法」と「律」を結集編集会議を開きました。これが第1次の仏典結集です。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その11-

釈迦の平等主義 釈尊時代のインド社会はバラモン(僧侶)・クシャトリア(王族・武士)・ヴァイシア(平民)・シュドラ(奴隷)の四種姓から成るカ-スト制度という身分差別が厳格な社会でした。これを釈尊は仏教教団に参加した出家の仏弟子と在家の一般信者ともにカ-スト制度を否定して平等社会の実現を期そうと考えました。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その10-

出家・在家 釈尊時代の仏教社会は出家の仏弟子と在家の一般信者との両者の仏教信者から構成されます。出家の教団は一般民衆を指導教化する専門家の集団であり、民衆は在家の信者として、専門家の出家から精神的に指導救済をうけるかわりに、出家者に対して物質的な衣食住などを布施供養しました。両者は精神・物質の両面で共生依存の関係を作り、人生の有意義な目的実現のため努力し、幸福平和な理想社会の建設を期したのです。その目的は次第に実現し、仏教は当時の正統・非正統の宗教教団の中で最大の勢力となりました。出家者ははじめは男の僧侶の比丘のみでしたが、やがて女性の出家者である比丘尼教団も発生し、戒律は男女別々となりました。
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