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釈迦如来、お釈迦さまの話-その16-

釈迦像の作成問題 釈尊の像、すなわち釈迦如来像は彫刻や絵画が釈迦と釈迦の教え、仏教が広まったインド、アフガニスタン、中央アジア、中国、朝鮮、日本、さらにスリランカ、ミャンマ-、タイ、カンボジャ・ラオス・インドネシア・ベトナムなどに残されています。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その15-

釈迦の生涯が信仰の対象に 釈尊は釈迦国の首都カピラ城から南方マガダ国との中間にあるクシナ―ラ―という地方都市で80歳の生涯を閉じました。釈尊が没すると、その遺体は荼毘(火葬)に付されて、その舎利は生前に釈尊と関係の深かった諸方の国王や種族の間で八等分され、各地で舎利塔を建てて祀られました。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その14-

釈迦入滅直後の仏弟子・教団の形成 釈尊は釈迦国の首都カピラ城から南方マガダ国との中間にあるクシナ―ラ―という地方都市で80歳の生涯を閉じました。釈尊が没すると、残された多くの弟子のうち、500人の最も優れた阿羅漢たちは、釈尊の教えが正しく伝えられるために、マガダ国王舎城外において、3カ月間一堂に会して、釈迦の教法としての「法」と「律」を結集編集会議を開きました。これが第1次の仏典結集です。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その11-

釈迦の平等主義 釈尊時代のインド社会はバラモン(僧侶)・クシャトリア(王族・武士)・ヴァイシア(平民)・シュドラ(奴隷)の四種姓から成るカ-スト制度という身分差別が厳格な社会でした。これを釈尊は仏教教団に参加した出家の仏弟子と在家の一般信者ともにカ-スト制度を否定して平等社会の実現を期そうと考えました。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その10-

出家・在家 釈尊時代の仏教社会は出家の仏弟子と在家の一般信者との両者の仏教信者から構成されます。出家の教団は一般民衆を指導教化する専門家の集団であり、民衆は在家の信者として、専門家の出家から精神的に指導救済をうけるかわりに、出家者に対して物質的な衣食住などを布施供養しました。両者は精神・物質の両面で共生依存の関係を作り、人生の有意義な目的実現のため努力し、幸福平和な理想社会の建設を期したのです。その目的は次第に実現し、仏教は当時の正統・非正統の宗教教団の中で最大の勢力となりました。出家者ははじめは男の僧侶の比丘のみでしたが、やがて女性の出家者である比丘尼教団も発生し、戒律は男女別々となりました。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その9-

舎利弗・目犍連 仏の二大弟子として有名な舎利弗(シャ-リプッタ)・目犍連(また目連、モッガッラ-ナ)の2人はともにバラモン(婆羅門)出身の青年でしたが、バラモン教の教えに満足できず、新しい法を求めてサンジャヤという出家の弟子となりましたが、それでも心の満足は得られず、さらにすぐれた教えを求めていました。 続きを読む

釈迦如来、お釈迦さまの話-その8-

初転法輪 今日サ―ルナ―トと呼ばれる土地にお釈迦さまの時代の呼び名であるベナレスの鹿野苑で、かつての弟子五人たちに釈尊は自分のさとりの内容を話し出しました。釈尊の最初の仏法説法で初転法輪と呼びます。転法輪とは転輪王がその輪宝を転じて全世界を征服するにたとえて、仏が説法することを、法輪を転ずるとといったものです。この最初の説法では、仏教の根本教理である四諦・八正道が説かれました。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その7-

覚者釈尊 おさとりを開いたお釈迦さまはそのさとりの内容を確認して、かつこれを世人に説き示す方法を考察するために、7週間坐禅を続けたとされます。必至で考えたのです。ここは注意しなければならないところです。お釈迦さまは坐禅でおさとりを開いたのではありません。また坐禅は無念無想、何も考えずただ坐っていろと言いますが、お釈迦さまはさとりの内容を坐禅しながら徹底的に考えたのです。またそれは単なる瞑想ではありません。もう一度画像を逆展開します。お釈迦さまは坐禅などの苦行が無駄だと分かると、一樹下に端坐して静かに人生の苦の根源を内省しました。それで宇宙人生の真理を覚ったのです。
その真理とはあとでまず簡単に述べましょう。
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