釈迦如来、お釈迦さまの話―その二十二

仏像の共通性(続き) 観音菩薩は思惟の姿の如意輪観音、自己に加え頭に十方を向く十一面観音、手が千本有る千手観音、馬の頭を付け憤怒像の馬頭観音、その他種々の観音像が早い時期に各地で制作されました。釈迦滅後の未来の仏陀である弥勒もはじめは菩薩像で水甁を持ちます。それが仏滅後五十六億七千万年後に第二の釈迦として龍樹下で悟りを開き弥勒仏となると、禅定の姿で定印を結んでいます。こうした仏像の表現する意味は地域を越え各地で共通性を示しているのです。

仏像の意味 これまで述べたことをまとめながら考えます。ただ、ここでは当面、釈迦如来、お釈迦さまの仏像に限って考察します。インド古代初期ではもっぱら釈迦の伝記、本生話のような仏教説話図を扱った浮彫、レリーフが行われ、これは北伝・南伝、上座部系仏教、大乗仏教の差異なくその後永く継承されました。遺例はたいてい石造建築や石窟に付随して存在します。しかし仏像が出現し、その崇拝が盛んになると共に、彫刻は主として釈迦像、仏陀以下諸尊の仏像の制作に集中するようになりました。その場合、仏像の起源に関わる二地方の二事例の持つ意味が重要です。一は紀元前後の時代に、西北インドからアフガニスタン地方に居たギリシャ人植民の人々の間で、お釈迦さまの生涯や様々な伝説を彫刻に造形したガンダーラ仏が最初の仏像でした。釈迦のさとりを開く伝承を忠実に造形化して、苦行に打ち込む釈迦、思索する釈迦、菩提樹の下で悟りを開き、それを人々に説法する釈迦などが極めて写実的に作られました。それに対して第二の事例はインド北部のマトゥラーではガンダーラ仏の制作とほぼ同じ時期にガンダーラ仏とは全く異なる表現で造像された釈迦仏が出現しました。その特徴はまず悟りを開いた喜びを全身で表わそうとする釈迦の像で、目を閉じた、或いは半眼にして難しい顔をするガンダーラ仏とは全く反対に、両目をぱっちり開き、満面に笑みを浮かべた歓喜の表情のお釈迦様がマトゥラー仏の特徴です。しかも、ガンダーラ仏が紀元1~2世紀に中央アジア・西域地方を経て後漢時代の中国に伝播するのとほぼ同時期に、チベットを経て、四川地方の中国に到着しています。
以下次号