本書は当初、前著『武州拝島大師本覚院の歴史文化』が、これまで社寺の縁起としてしか取り上げられなかった拝島大師の由来事蹟を、歴史学・文学など文系諸学の総合的観点で考察する、つまり拝島大師の歴史文化を分析しようとしたのに対して、その史料編を編纂しようと意図した。
そこでまず、拝島大師に祀る元三大師・慈恵大師の伝記を悉皆調査しようと思って各種伝記を集め、それが多く漢文で書かれているため、その史料題目(綱文)を付し、〔読み下し〕〔語句説明〕〔史料研究〕を厳密に検討してみると、意外な成果が次々と出て来るだけでなく、歴史的人物の大師がいかにして信仰の対象となったかの説明が出来ることに気がついた。
それではというので、第二編では前著であえて割愛した慈恵大師良源の自筆文書史料の研究をし、第六章「二十六ヶ条制式」と第七章「良源御遺告」を検討した。これらの史料の厳密な考証研究により、大師の生涯、その仏教者として、また天台座主比叡山延暦寺貫首として一宗の綱紀粛正を計ったことが了解された。後者の「御遺告」は、「初めて没後の事を記す」と表題が付けられ、病気に罹った大師良源が没後の後事を弟子たちに指示したもの。いずれも大師の比叡山改革と朝野の布教の具体を知る上で重要な事実が浮かんできた。日本史・宗教史・文化史の史料としても案外重要で、他にはない歴史文化史料であることを指摘したい。
第三編の二章は、実は特別な位置を占めている。特に第九章の智海尼の「向拝造営内借弁済 修覆寄進品取調帳」は寺院内部に秘され外出を憚る史料である。これをカラー写真で載せ、大方の関心を引こうとした由縁である。かかる史料の提示は他にあまり類例がない。智海尼の記述は、元三・慈恵大師の自筆文書史料「二十六ヶ条制式」及び「良源御遺告」で、大師良源がいかに諸事情との格闘を行い、それにより延暦寺、山門天台宗を維持しようと努力したかに通じるものである。
主要目次
第一編 元三・慈慧大師良源の伝記史料
第1章 藤原斉信『慈慧大僧正伝』 第2章 梵照『慈慧大僧正拾遺伝』 第3章 皇円『扶桑略記』所引 慈慧大師良源伝 第4章 蘭坡景茝『慈慧大師伝』 第5章 「慈慧大師絵詞末」
第二編 元三・慈慧大師良源の自筆文書史料
第6章 二十六ヶ条制式 第7章 良源御遺告
第三編 元三・慈慧大師信仰の関係史料
第8章 和讃・講式ほか 第9章 幕末期、拝島大師本堂向拝高欄造営工事報告書
◆岩田書院、2021年(令和3年)3月1日刊