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古典会だより-春の七草ースズナー

春の七草は『万葉集』巻一冒頭の雄略天皇御製歌「籠コもよ み籠もち 掘串フクシもよ み掘串持ち この岳オカに 菜摘ツます児コ」とあるように、正月七日の若菜摘みが原点で、いまだ寒い中、野遊びがてら雪まの若菜を摘みとり、あつものや粥にして食べ、春の祝い福寿の願いとして来ました。ですから春の七草は、生命の根源たる食べることにかかわり、野草、雑草と言われるハコベ、オギョウ、ホトケノザ、ナズナ、後に栽培種ともなるセリ、食用に改良を加えられたスズナ蕪カブ、スズシロ大根と、鎌倉から室町時代にかけて定まり、「セリ、ナズナ、オギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、これぞ七草」と詠われ、江戸時代から正月七日は五節句-正月七日(人日)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)-の一つと定められ、若菜節、七種ナナクサの祝い、七種の節句と呼びました。 続きを読む

慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その44-

○四月五日(続) 新羅人の多く住む宿城村①に到った。僧らが密州より当地に到った理由を問うたので、答えて言う、「新羅僧の慶元・恵溢・教恵らは便船に乗って来たりてここに到った。一両日宿住しようと思う。請うらくは、勾当し愍れみを垂れてここに留めてください」と。
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古典会だより-拝島大師参詣のしるべ

拝島大師は南は奥多摩街道に接し、およそ五〇〇メートル先には多摩川が西から東に流れ、『万葉集』にも詠われた「多摩の横山」が連なります。平成六年五月三日新本堂落慶以来、同年暮には水屋水天宮、平成七年十二月二日奥多摩街道に面して総門南大門が完成、親柱二本の長さ8・20メートル、径48・00センチメートル、柱間は5・40メートルあり、これに高さ60・00センチメートル、幅30・00センチメートルの大虹梁を貫き、切妻瓦屋根が乗り、親柱に付いた控え柱にも切妻屋根を渡し、組物は大仏様の通し肘木、三手先の賑やかさ。 続きを読む

慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その43-

○四月三日、第一船が昨夜処分した状に、長岑判官ら五船の船頭をして署名せしめた。第二船は史生の名を署名させた。余の四船は署名に連ならなかった。新羅人通訳金正南の書を得たが、それに称す「第二、三、五、七、九らの船①はここより東海を渡らんとす。よろしく移りて、第六、八船に乗るべし」と。
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古典会だより-秋の七草 くず(葛クズ)-

万葉集』に山上憶良(660-733)の、秋の野の花を詠む二首「秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」「芽子[萩]の花 を花[をばな尾花、薄]・葛花(くずばな) 瞿麦(なでしこ)の花 姫へし[女郎花おみなえし] 又藤袴(ふぢばかま) 朝㒵[貌]の花」とあります。秋の七草は山地や野原に自生する日本固有種とされ、朝㒵の花は、当時唐からの外来種で流行した今のアサガオ朝顔ではなく桔梗とされ、秋の野の花を観察し、日本の自然をいつくしむ憶良の気持がよく表わされており、「ハギ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、オミナエシ、クズ、フジバカマこれぞ七草」と親しみ口づさまれ、千三百年以上も前から観賞用として姿、形、香りの良さが愛されて来ましたが、食用、薬用、建築工芸用にと、実に多様で有用なものでした。
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漢字講座・第38 西(さい・せい、にし)

現在、コロナウィルスによる新型肺炎大流行の拡大を抑えるために世界中で東西南北の人の移動が制限されています。逆に流行伝播は方角があるので自分の位置から方角を正しく考えることが大事になります。そこで方位を意味する東西南北の漢字を考えることにします。 続きを読む