古典会だより-春の七草ースズナー

春の七草は『万葉集』巻一冒頭の雄略天皇御製歌「籠コもよ み籠もち 掘串フクシもよ み掘串持ち この岳オカに 菜摘ツます児コ」とあるように、正月七日の若菜摘みが原点で、いまだ寒い中、野遊びがてら雪まの若菜を摘みとり、あつものや粥にして食べ、春の祝い福寿の願いとして来ました。ですから春の七草は、生命の根源たる食べることにかかわり、野草、雑草と言われるハコベ、オギョウ、ホトケノザ、ナズナ、後に栽培種ともなるセリ、食用に改良を加えられたスズナ蕪カブ、スズシロ大根と、鎌倉から室町時代にかけて定まり、「セリ、ナズナ、オギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、これぞ七草」と詠われ、江戸時代から正月七日は五節句-正月七日(人日)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)-の一つと定められ、若菜節、七種ナナクサの祝い、七種の節句と呼びました。東都歳事記』天保七年(1836)に、当日は将軍以下七草粥を食べ、諸侯は登城して祝儀を言上。民間でも当日の朝七草粥を食べたとありますが、
七草粥の習俗は今も広く行われ、温室作りの七草が賑やかに揃います。
古今和歌集』「君がため春の野にいでて若菜つむ、わが衣手に雪はふりつつ」
清少納言枕草子』正月、「七日、雪まの若菜つみ、あおやかに、例はさしもさるもの目近かからぬ所に、もてさわぎたるこそをかしけれ」「七日の日の若菜を、人の持て来、さわぎとり散らしなどするに」
西行山家集』「卯杖つき七草にこそ老にけれ年を重ねて摘める若菜に」
心敬ささめごと』「七草などは、二葉、三葉、雪間より求め得たるさまこそ艶に侍るに」
○俎マナイタに薺ナズナのあとの匂ひかな 鳴雪
○かりそめに摘む七草をそろへにけり 白雪郷
○畑のもの足して七草揃へけり 紫紅
○七草のそろひし籠カゴのめでたさよ 風木
○七種や芹生の薺淀の蕪 ひで女
○薺粥箸にかゝらぬ緑かな 蝶花
○薺粥椀ワンのうつり香よかりけり 野風呂
○七種や今を昔の粥の味 鴻村
スズナ(鈴菜)蕪カブの異名、カブラとも。アブラナ科。キャベツ、カリフラワ-、ハクサイ、コマツナ、カラシナ、大根などの仲間。根が肥大化して円錐形や球形となり、鈴の形に似ているのでスズナとも呼ばれる。春、十字状の黄色小花を密につけ、緑色の葉はやわらかく、叢生し長楕円形で、縁フチは不規則に切れこむ。
☆『日本書紀持統天皇七年(693)に、天下に詔して「桑・紵・梨・蕪青等の草木を殖えしむ。五穀を助くとなり」とあり、古くから栽培された。葉や根には、ビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富に含まれ、甘みあり、大別して大カブ、小カブの二種である。
☆京都の聖護院蕪は、大形、やや扁円で甘味が強く、千枚漬として最良。滋賀県の近江蕪は極度に扁く、大形で、上部は淡緑色。大阪の天王寺蕪は、尖った球状で色は純白。鳥取県の米子蕪は中形でやや長く、外皮は鮮紅色、茎や葉も紅色を帯びており、愛媛県の伊予緋蕪は、扁平で小形、外皮が暗紅色、肉は紅色、葉茎が暗紅色なので、「緋蕪」、または「紅蕪」と呼ばれる。大阪の天王寺蕪は、二杯酢漬、漬物にして生食し、鳥取の米子蕪は塩漬・三杯酢漬などにするなど、各地域で栽培に工夫を重ね、品種も多いが、一般には小蕪が葉付きのままで愛用され、冬の朝の味噌汁に上等の味わいと色どりを添えてくれます。
☆生食では、塩漬け、糟漬け、千枚漬け(聖護院蕪)、ひと塩振って薄切りにしてまぜ合わせると、ほのかな甘味とねばりが出ます。砂糖、しょうゆ、酢、味噌、いずれとも相性が良く、葉はゆでておひたし、ゴマ味噌あえに、根は加熱すると、ほっかりと柔らかくなり、甘味もあり、煮込んでふろふき、濃厚なスープに。実に多用・美味・有用です。
☆とりわけ、牛スネ肉小切れと、人参・玉ネギ、トマト、おろしリンゴ、砂糖、醤油などで煮込んだ蕪鍋は冬一番のあったか鍋でしょう。
○賽の目の豆腐は白し蕪汁 奇北
○あつものに舌ぶりをする鈴な哉 『俳諧・毛吹草、一正
☆春夏秋冬、四季の変化に恵まれた日本は、季節毎の節目を大切にして来ました。青龍の春、朱雀の夏、白虎の秋、玄武(玄は奥暗い意)の冬、立春、立夏、立秋、立冬の前各十八日は季節の移り変わりの大切な時期で土用、色は黄色です。お正月の飾りやお祝いの黒を紫に代えての五色の幕は、単に綺麗というだけでなく、季節の順当なめぐりと無事への願いが込められています。因みに、お正月の破魔矢は穴あき蕪形を底に付けた鏑矢が正式で脅しの矢です。
◎物みな変る世の中で「お変りありませんか」の日本語は有り難い。医食同源、せいぜいご馳走を食べて、元気が一番です。