本堂 元三大師中堂
昭和五八年(一九八三)五月三日多宝塔落慶の折り、山田恵諦天台座主により建設が宣された新本堂は一二年の歳月と万余の御信徒各位の用材欅材御寄進により、比叡山根本中堂と旧国宝大講堂を合体させた桃山様式建築を復原した壮大な建物です。
屋根には奈良東大寺様式の金色の鴟尾(しび)が輝き、富士山を思わせる瓦葺き大屋根は唐様四手先組物で支えられますが、そこには四方八方を睨む獏(ばく)鼻が付くのは日光東照宮陽明門と同じです。
階段を上り中門を入ると、左右に回廊があり、さらに数段の階段を上ると、外陣でここで正面に宮殿が見え、お大師様が目の高さで親しく迎えてくれます。
南大門
大師本堂の一番南端は奥多摩街道に面した南大門です。
東大寺南大門を想定させる大仏様式の高大な門を入ると右側に100台を収用する護摩供祈願者并特別参拝者専用大師駐車場があります。
正月初詣・初縁日だるま市では特に駐車券により整理をしますのでご協力下さい。
文殊楼
拝島大師の山門は楼上に文殊菩薩をお祀りする文殊楼で本山比叡山根本中堂の文殊さまを勧請した竜宮城様式の建物です。
正月第二月曜日の成人の日の午前10時には学業成就・入学試験その他受験合格を祈願する大般若経転読会が昭和四九年(一九七四)から開催されています。
山門文殊楼をくぐって文殊様の智恵を授かりましょう。
八角円堂・弁才天堂
文殊楼をくぐり本堂に向かう参道の左手に八角円堂・弁天堂があります。
奈良興福寺の北円堂・南円堂を思わせる壮大な木造八角円堂は関東随一です。
ここは大師の池は、滋賀県琵琶湖を模し、天台宗祖伝教大師最澄や元三大師良源が信仰したのに倣ったものです。
中央に六臂の弁天像、左に毘沙門天、右に聖徳太子という天台独特の三尊形式で、見上げる天井空間の木造建築美は一見の価値があります。
弁天さんは学問諸芸上達の神で、毘沙門さんとも七福神に入ります。弁天さん、毘沙門さん、聖徳太子様に一年の福を授かりましょう。
転法輪蔵・経蔵堂
文殊楼をくぐって右、弁天堂と反対側に経蔵・転法輪蔵があります。
等身大よりやや大きい丈六の釈迦三尊を本尊とし、階上二階にぐるり一周する転法輪蔵を備えます。
日中韓三國大蔵経ほか、万余の経典仏教文献を中心とした仏教文化の図書館機能を用意します。
大黒堂(旧本堂)
経蔵・転法輪蔵についで参道右には大黒堂(旧本堂)があります。平成三年(一九九一)まで本堂でした。
拝島大師は江戸時代の寛保二年(一七四二)の大火災で堂塔伽藍をすべて焼失し、復興した客殿にお大師さまを仮安置していましたが、一九世紀初頭の文化のころ、義順和尚により多摩郡・武州は勿論、相州・甲州の西関東一帯に勧進行脚して浄財を集めて建立したのが旧本堂です。
文政二年(一八一九)入仏供養が行われました。幕末、文久三年(一八六三)には義歓和尚により向拝高廊が造営されましたが、その擬宝珠には寄進者中野久二郎(中久、昭島市中神町)や大塚徳左衛門(八王子市鑓水)らの著名な絹生糸商の豪農の名が刻まれています。
本尊は表に大黒天らの福神、奥に薬師如来・日光・月光両菩薩、十二神将が祀られます。軒下には大正二年(一九一三)の心武館・天然理心流剣道の奉納演武扁額が懸かっていましたが、一〇〇年後、平成二三年(二〇一一)に二代目が懸かりました。その他、養蚕振興額や大神村中村半左衛門三兄弟による福聚海篆刻額の奉納もあります。
水屋・水天宮
大黒堂入り口の手洗いは旧本堂とともに移転したもので、一九世紀の明治年間の制作です。
平成の新本堂の手洗いにもなりましたので、龍頭を水口とし、頭上に水の神の水神水天宮を祀ります。
大梵鐘 ちぶさの鐘
本堂前、水屋の反対側に大梵鐘・ちぶさの鐘があります。一尺五寸(四五センチメートル)欅柱六本、内に八〇八貫(三トン)直径四尺三寸(一メートル四〇センチ)の大梵鐘があります。二九世宗賢和尚発願になり、昭和五三年(一九七八)年三〇世賢亮により完成しました。
比叡山上のお大師さまが山麓の母を慕う気持ちに因み、「ちぶさの鐘」と名付けました。
誕生初宮詣の赤ちゃんは本堂内お大師さまの祈願加持作法が終わった後に、お父さん、お母さんが代わりにつきましょう。
七五三詣でのお子さんは同じく本堂内での祈願加持作法が終わった後にお父さん、お母さんと一緒につきましょう。お大師さまに帰りのご挨拶です。
奥の院 多宝塔
多宝塔は、お釈迦さまが法華経を説かれた時に法華経の教えがいかに真実なものであるかを証明するために地中から涌き出て虚空に止まったものです。また塔はそのまま仏さまの姿ともいいます。
拝島大師ではお大師さまへの信心、信仰がいかに御利益があるかを示すために築山高く多宝塔を建立し、中にお大師様の御本体である如意輪観音さまを祀り、もって奥の院としています。正月三ヶ日には開扉して親しく参拝ができます。
地蔵堂・稲荷大明神・諏訪明神
多宝塔を最奥とした築山には上り口に子育て地蔵さん、赤い鳥居をくぐると稲荷大明神、さらに諏訪大明神があり、『新編武蔵風土記稿などの江戸時代の文献にも書かれています。