拝島大師本覚院には幕末、安政五年(一八五八)三月三日澄俊代の箱書き墨書納経年の有る『大般若経』六〇〇巻があります。
納経者の施主村落名や氏名など『如意輪』紙上で紹介しました。この『大般若経』六〇〇巻は毎年、文殊楼縁日の正月成人の日に行われる大般若経転読会に用いますが、幕末以来、関東大震災、昭和の太平洋戦争、等々、幾多の試練を越え、相当に老朽化しています。拝島大師の貴重な歴史資料でもありますので、永久保存のため経蔵堂輪蔵に納めることにしました。つきましては皆様に平成の『大般若波羅蜜多経』納経の御願いを致すことになりました。そもそも納経は古来千数百年の歴史がありますが、我が国では、東大寺・正倉院所蔵の光明皇后御願経が有名です。光明皇后が書写させた一切経には天平十二年(七四〇)五月一日の納経日付があるので「五月一日経」と呼ばれます。
皇后藤原氏光明子は尊考贈正一位太政大臣府君(藤原不比等)・尊妣贈従一位橘氏太夫人の奉為に敬いて一切経、論及び論を写し、荘厳既に了りぬ。伏して願わくは斯の勝因に憑り、冥助に資し奉り、永く菩提の樹を庇い、長く般若の津に遊ばんことを。また願わくは上は聖朝を奉りて恒に福寿を迎へ、下は寮采に及び共に忠節を尽くさんことを。また光明子は自ら誓言を発して、弘く?淪を済い、勒して煩障を除きて、諸法に妙窮し、早に菩提を契らん。乃至伝灯窮り無く、天下に流布し、名を聞き巻を持すれば、福を獲て災を除き、一切の迷方、会して覚路に帰せん。
天平時代、聖武天皇の皇后光明子は父母の為に一切経の納経を企図します。「五月一日経」の一切経は玄昉が唐から将来した五千余巻の経巻が底本にして、天平八年(七三六)に皇后宮職の写経所で開始されました。そして天平十二年五月九日から五月一日の光明皇后の願文を付けたのです。その後、聖武天皇の娘孝謙天皇もやはり父聖武天皇の冥福を祈って納めた経典も、「称徳天皇勅願経」と呼ばれます。いずれも、多くの経巻が一千二百五十年の時空を越えて今日残ります。
ここに、平成の今の皆様の納経が未来に伝えられることを切に願うものです。