初宮詣、七五三宮詣といいますが、宮という漢字はもともと如何なる意味で作られた漢字でしょう。宮は宀かんむりに呂です。呂は「いろは」の「ろ」です。
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【漢字講座】月(つき)
秋は月が美しい、漢字の月は月の欠けた形で、三日月から上弦の月までの中間くらいの月。日の陽(太陽)に対して太陰である。日を男子とすれば月は女子です。もっとも日本神話の天照大神は女神の太陽神。中国思想の五行では月は水の精なりとされます。方位では辰であり、辰は月を主(つかさど)るとします。日月並ぶことから、人間位階で副の位置を指し、后妃、大臣、諸侯、衆臣にあてます。年月とは一年を一二に分けてその一を一月、太陽暦では一(正)・三・五・七・八・一〇・一二各月を三一日とし、二月は二八日(閏年は二九日)、四・六・九・一一各月を三〇日とします。それで月を数える単位も月と言います。また年月、歳月の月はとしつき、光陰をいう。
【漢字講座】年(とし、ねん)
年という字はどんな意味でしょう。
もとは秊という字に作りました。「千の禾(のぎ)」という形で、たくさんの穀物がみのるという意味です。秊は季節の季によく似た字です。いずれも上に禾(のぎ)が付いています。禾は茎を表す木の上に丿が付いた字です。丿とは穀物の穂が垂れる形を象ります。ですが、それでイネ稲の穂を表します。
【漢字講座】鹿(しか)
馬の次は鹿、『平家物語』老馬に御曹司義経は「さては馬場ござむなれ。鹿のかよはう所を馬のかよはぬ様やある。」と言います。馬と鹿は同類です。動物の鹿という漢字を説明します。鹿の字はその頭・角・四足の形に象る。ただ、四足に当たる部分の比は「鹿の足はあい比(なら)ぶ、比に従う」とあります。比はまた人の字を二字逆さにしたかたちで、人と人があい接して親密なことを意味し、二つのものを比べることになります。鹿の足がみな親密に見えるのでしょう。鹿はまた古代中国では帝位に喩えられます。「中原の鹿」「中原に鹿を追う」は古来さまざまな典故があります。唐の詩人温庭筠の「五丈原を過ぐるの詩」には、「下国臥龍空寤主、中原に鹿を得るは人に由らず」とあり、『晋書』石勒載記には、「もし(後漢の)光武(帝)に遇い、中原に駆るべく、未だ鹿誰れの手に死すかを知らず」という。唐の魏徴も述懐詩に「中原はたまた鹿を逐うに、筆を投げて戎軒に事めよ」といいます。鹿は殷周以来帝王が狩猟で手に入れた獲物の代表で、帝位に比定されているのです。
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【漢字講座】馬(うま)
本年の干支は午歳、うまどしですので動物の馬という漢字を説明します。干支の午は角が出れば牛だが、午には角が出ないと覚えてください。さて、漢字の馬という字はいかにも馬の形を現わしています。字形は馬の頭とその後に鬣(たてがみ)があり、大きなお尻があって、下に四足が駆けています。一体、馬は体巨大、四肢強健、鬣と蹄(ひずめ)とあり、人を乗せ物を運ぶに古来必要な獣です。野生の馬が家畜になったのは今から五〇〇〇年くらい前とされ、中国でも漢字が登場してきた殷時代(前一四〇〇から前一〇〇〇年ころ)にはすでに馬は中国人に知られていました。なお、日本人が馬を知ったのは相当に後れて四、五世紀のことです。日本語の「うま」は馬の漢字音の「ま」に接頭語「う」が冠したもので、「うめ(梅)」「うみ(海)」と同じです。「ま」は母音変化で「め」ともなります。罵るとき、奴め、此奴(こいつ)めとなります。また、高さ六尺(一・八〇メ-トル)を馬といい、古来諸侯の乗り物でした。馬八尺以上を龍といい、天子(王)の乗り物でした。五尺以上の小型は駒といいます。さて、インドでは馬は牛、獅子(ライオン)、象(ゾウ)とともに聖なる動物で四獣といいます。西アジアやエジプト、さらにギリシャ・ロ-マでは優れた馬は空に上り、時に翼が生えて天馬と呼び、これはインドにも紀元前に伝わりました。馬は乗馬に使われますが、何頭かの馬に引かせた馬の車を馬車と呼び、これも古今東西で古い歴史があります。特に戦車に使う馬車は古代オリエントでは一般的でしたが、古代インドや古代中国でも同様で、中国では殷から周時代、天子の馬車は六頭立て、諸侯は四頭ないし二頭立てと身分も高さの印となりました。孔子は弟子の顔回が死んだ時、その父親が孔子の馬車を貸してくれと頼んだが、貸さなかった話が有名です。孔子は自分の乗る馬車が無くなると体面が保てないというのです。周王朝の時代の各地の王侯の墓地から馬車が出土することが知られます。秦始皇帝の墓地からも銅馬車の模型が出土しました。
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