五月一日からの新しい年号の令和(れいわ)は『万葉集』巻五、梅の歌三十二首の序文から取りました。万葉集は日本の歌、和歌約4500を集めた歌集です。これまで令・和という二字の漢字について2回ほど考えてみました。今回は歌という漢字について考えてみます。
歌は左が可を上下に二つならべた哥という字で、可も哥も歌もみなカと発音します。しかし、歌には形がないので、その形を表現した象形文字は作れません。そこで歌の状態を説明することになります。歌はまず「うたう」という状態があります。声を引き抑揚をつけて唱えるのです。ここで唱歌の唱という漢字を出しましたが、唱は口偏に曰が上下に2つ。二人以上が同じうたを重ねるのです。また日本ではお座敷芸の歌に小唄がありますが、この唄は口偏に貝と書きます。この漢字は本来中国人が作った漢字ではありません。梵唄(ぼんばい)といってインドの言葉で仏さまを讃える唄をいいます。「ほめうた」と言います。インドのお経はまた木の葉に書かれたので貝葉といい、貝多羅葉バイタラヨウとも言いましたから、その貝を口に付けて小唄の唄を作りました。曲や行も漢字の意味に「うた」があり、それも歌の状態を説明します。詩もうたの意味がありますが、詩の方が文学の範疇です。
万葉集の歌は和歌と言い、万葉集の成立した奈良時代以降、平安時代、鎌倉時代、そして現代まで、各時代に和歌集が作られました。和歌はまた「やまとうた」とも言います。古い時代、現在確認できるのは五世紀ごろの作ですが、以後奈良時代までには字数で100字を優に超える長歌というのがあり、それを短く要約した反歌という詩を付けました。反歌は五七五七七の計31字で歌にしました。これを短歌と呼びます。平安時代から現代まで和歌と言えば短歌です。和歌に対して中国の歌は音楽に合わせて唱い詠う歌を言います。日本でもそれに似た御詠歌というのが仏教寺院にあります。四国八十八カ所の札所や西国三十三カ所の観音霊場でそれぞれの本尊様を讃える歌が始まりです。
歌謡という言葉がありますが、もとは政治を批判し、世直しをしようという勢力が世に宣伝する歌でした。それが近代大衆文化隆盛の一部に歌謡曲という流行歌が出現して今日に来ています。それに国家、地方行政団体、学校、寺院その他各種団体の統合を目指す歌もあります。あなたの小学校、中学、高校、大学にも校歌があり、応援歌があるでしょう。