古典会だより 端午の節句

五月五日は端午の節句。端は初め、午は五に通じ、五月最初の五日の節句の意味です。春夏秋冬の四季のめぐり、四季折々の自然に恵まれた日本では、千年以上前から節目を大切にして、節供が行われました。正月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日の五節供で、江戸時代、四百年前からお節句となり、いずれも普段と違う特別のしつらいをし、事を行い、特別の食べ物を賞味して来ました。共通するのは、その時季にめぐり会えた喜びと、災いを避け、順当な将来への期待でしょう。

201504shobu 端午の節句は菖蒲ショウブの節句とも言われ、古くはアヤメの節句と呼ばれました。平安時代には軒先に菖蒲をヨモギ蓬と入り交ぜてさす菖蒲葺をし、香木も入れて薬玉にして柱に吊し、携帯用の小さな物に作って掛け香とし大人は腰に、子供は着物のエリにつけ、また髪飾りにもしましたが、いずれも、菖蒲の香り高く、厄災除けへの願いでしょう。千年以上前に書かれた『蜻蛉日記』で見てみましょう。

○ 五月になりむ。「菖蒲の根、ながき」など、ここなる若き人騒げば、つれづれなるに、とりよせて、貫きなどす。①
① 薬玉に菖蒲や香木、組糸を貫く。

○ 明くれば五日の暁に、兄たる人ほかより来て、「いづら、今日の菖蒲はなどかおそうはつかうまつる。夜しつるこそよけれ」などいうに、菖蒲ふくなれば、・・・事②行いてふかす。
② 青い御簾に取り替えたり、去年九月節句以来付けてあった菊をはずしたり、衣を菖蒲がさねに替えたりする。

○ 昨日の雲返す風うち吹きたれば、あやめの香、はやう香かえていとおかし。簀子に助と二人居て、天下の木草をとり集めて、「珍らかなる薬玉せん」など言いて、そそくり居たるほどに、このごろは珍しげなう、「ほととぎすの群とり、くそふく厠におり居たる」など、いい罵る声なれど、空をうちかけりて、二声三声聞こえたるは、身にしみておかしうおぼえたれば、「山ほととぎす今日とてや」など、言わぬ人なうぞうち遊びめり。

次に『枕草子』を見ましょう。
○ 五月こそ世に知らずなまめかしきものなりけれ・・・その日は菖蒲うち葺き、世の常の有様だにめでたきをも、殿のありさま、ところどころの御桟敷どもに、菖蒲葺きわたし、よろづの人ども菖蒲鬘して、菖蒲の蔵人、かたちよきかぎり選りて出されて、薬玉賜はすれば、拝して腰に付けなどしけんほどいかなりけむ、えいのすいへ移りよきもなどうちけんこそ、おこにもおかしうもおぼゆれ、帰らせ給う御輿の先に、獅子・狛犬など舞い、あわれさる事のあらん、ほととぎすうち鳴き、ころのほどさへ似るものなかりけんかし。

201504hototogisu ホトトギスは時鳥、霍公鳥、杜鵑、子規、不如帰、沓手鳥、蜀魂などと書き、カッコウより小形で自らは巣を作らずウグイスなどに産卵して育てさせます。鳴き声は、「テッペンカケタカ」などと言われ、昼、夜ともに鳴きますが、「目に青葉、山ほととぎす、初鰹」と、五月節句のころの初鳴きは賞翫されました。

菖蒲とともに使われたのがヨモギ蓬で、いずれも香高く、災厄や疫病除けの願いというだけでなく、
○ 汗の香少しかかえたるきぬのうすぎを
○ 菖蒲よもぎなどの香あいたるいみじうおかし
と『枕草子』にあるように、実用的でもありました。

201504fukinagashi 今から三百年ほど前の江戸時代ころから、菖蒲は尚武に通じて、鎧・兜を飾り、出世魚とされる鯉を幟に立て、子供の成長を祝うようになりました。鯉のぼりには風を受けて威勢良く舞う鯉とその風をやり過ごす吹き流しがあり、時に正面切って努力し、時に措いて受け流す親の願いといえましょう。

 

201504kashiwa 五月お節句と言えば、柏餅です。ちまきとともにお供えしたり、配り物にします。もち米の粉を煉り楕円形にのばし、あんを入れて重ね、貝の形にしたものを、あらかじめ熱湯に通し、水に浸し、あく抜きをしたカシワの葉でくるみ蒸します。あんは小豆の粒あん、漉しあんだけでなく、味噌に砂糖を入れた味噌餡もあり、区別するにカシワの葉の表、裏、さらに米の粉に薄く色付けなどして、あんの区別をしました。植物の葉で包んで菓子にするのは、他に椿餅、桜餅、葛餅などありますが、小豆あんは江戸時代以来の偉大な発明と言えましょう。

端午の節句は人びとの厄災除け、疫病除けから、菖蒲飾り、菖蒲打ち③の遊び、子供の将来へとつながり、空を仰ぎ、香りを賞で、美味しい餅を食べ、元気をつけます。
③ 菖蒲を三つに束ね地面を打ち、菖蒲が長い時間残った方が勝ち。

『梁塵秘抄』に次の歌謡があります。
○ 遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそゆるがるれ。
子供たちが、頭と手足、口とも十分に動かして育って欲しい願いです。