天然理心流新扁額奉納 一〇〇年ぶりの壮挙

拝島大師旧本堂に、天然理心流心武館初代館長井上才市氏が奉納した扁額がある。心武館はあきる野市二宮に開いた道場、扁額の維時は大正二年(一九一三)十一月二十三日とある。それを今回、初代館長井上家の姻戚に当たる大塚篤氏が心武館道場を再興、四代目館長として天然理心流の演武を拝島大師に奉納、それに続き門弟百数十名、心武館賛同者百有余名の墨黒々とした二代目扁額を初代と同じ規模規格で同じ十一月二十三日の佳辰(勤労感謝の日)に掲揚した。大塚氏は昭島消防署長を最後に消防畑を歩いてきたひと、心技信仰一体、天然理心流の奥技を極め、現在、茨木県牛久、都内新宿、当所昭島、関西京都の四道場を構え後進の育成と剣道の社会実践に努める篤信の人士である。四年前、拝島大師天然理心流奉納額の存在に注目、その次を挙げたいと志を抱いた。

初代額は当大師二十八世宥賢和尚の代、因みに和尚は幼名は捨吉、戊辰戦争上野彰義隊の遺児であり、官憲に追いつめられた父が八王子市高月町円通寺亮宥和尚に預けて僧になった。亮宥和尚も反政府の嫌疑で投獄の経験ある傑僧、後に平泉中尊寺貫主となり、そこに墓所がある。

拝島大師旧本堂の向拝浜縁高欄は文久三年(一八六三)正月吉日の造営、高欄擬宝珠にその銘文がある。寄進名は昭島地区では当所小林久蔵(橘屋、通称拝島久蔵)、中神中野久二郎(通称中久)、田中矢島常右衛門、大神石川伊右衛門、鑓水村大塚徳左衛門の名が見える。横浜開港で欧米向きの生糸生産、流通業者たちである。因みに当時拝島大師には古郷で元三大師(拝島大師本尊)を信心する近江商人が集合していた。
時に文久三年、将軍家茂は公武合体、皇女和宮との結婚式に京都をめざし、その警護に新撰組が結成された。その後の顛末は割愛しよう。幕末維新の大動乱の時代の天然理心流の面々である。
それから五十年、日清・日露に勝利して世界の強国に成長した日本の元首明治天皇が崩御した。翌年が大正二年。さらに一〇〇年後、平成二十三年は三月十一日に大震災、福島原発大事故、さらに世界経済の大動乱、地球温暖化はもはや終末の感である。有為有志の人材が待望される。