釈迦如来、お釈迦さまの話-その16-

釈迦像の作成問題 釈尊の像、すなわち釈迦如来像は彫刻や絵画が釈迦と釈迦の教え、仏教が広まったインド、アフガニスタン、中央アジア、中国、朝鮮、日本、さらにスリランカ、ミャンマ-、タイ、カンボジャ・ラオス・インドネシア・ベトナムなどに残されています。
しかし、インドの早いころの仏教は釈迦の像を描くことや彫刻に刻むことはせず、釈迦の存在を示すために、法輪や仏足跡あるいは各種の塔などをもって崇拝の対象としました。それは完全な人格者であり、深い思索に裏付けされた人類の苦という困難からの解脱・解放を手にした釈尊を描いたり彫刻で表現したりすることは完全にはできないと思ったからです。それで釈迦の像を絵画・彫刻で不完全につくることは釈尊を不完全な人物として表現して不敬ないし冒涜に当たるとしたからです。
初期仏教教義と釈迦像 釈尊の教えは、当初は釈尊の教えを直接に聞いた仏弟子が諸弟子に伝え、口から耳へ伝わるというものでしたが、やがて教えを記録に残すことが始まります。すでに前回までに述べたように釈尊の教えそのものはそれを聴聞した弟子から伝わり、やがて『阿含経』としてまとめられ、さらに仏教教団に属す人びとの規律の維持のために『律蔵』が整理されました。それらは釈尊が生涯をかけて説かれたものとまず言えましょう。そこには釈尊の生涯のできごとや当時の事情を比較的に忠実に伝えています。これが釈迦像に最初に表現されました。
ガンダ-ラ彫刻 西暦起源ころになると、アフガニスタンから西北インドにギリシア彫刻の影響が波及してきました。ギリシア彫刻の人物像は「完全な肉体に完全な精神が宿る」という思想に裏付けられたものでしたので完全な人格者としての釈迦を人物像に描くことは問題があるどころか好個の素材となったのです。その典型的な事例が見られるのがガンダ-ラ地方の釈迦像です。それでもその初期は前回述べたように釈尊の生涯を物語るために表現した彫刻です。その集約的存在が「苦行の釈迦」という題で作られた釈迦像で、いかにもギリシア彫刻らしい作品です。

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