先の漢字講座で馬を取り上げたので馬頭観音さんの話をしましょう。そもそも観音さんは、本誌『如意輪』本号冒頭の拝島大師新年の挨拶中で観音経中の「汝よ、観音の行の善く諸の方所に応ずるを聴け」という一句を引きましたが、三十三身に変じていろいろな場所、方角の多様な衆生の救済に姿を現わします。いつもは優しいお顔の観音さんが、時に怒髪天を突く忿怒像で現われます。馬頭観音、馬頭大士、馬頭明王などとも称されます。台密では正観音(聖観音)・十一面観音・千手観音・不空牽索観音・如意輪観音とともに六観音といわれます。拝島大師本堂外陣中央上の如意輪観音一尊と馬頭観音ら五尊の彫刻をよく御覧下さい。
ただ、怒りの観音は馬頭観音だけです。普通は三面で八臂もしくは二臂、人頭で頭上に馬頭を頂く菩薩か、人身馬頭のものがあり、馬頭は転輪聖王の宝馬が四方を駆けまわって敵を威伏するごとく、一切の諸魔をくじき伏する威力を表したものです。胎蔵界曼陀羅の観音院の一尊をなし、悪人、怨家降伏の修法の本尊とします。また民間では頭に馬をつけることから、馬の神、馬の病気平癒、無病息災を祈願し、馬の保護神で、時に馬子や馬車業者の交通安全の祈願の対象となります。築紫観世音寺の丈六馬頭観音は特に秀作で、国家鎮護の修法本尊とされたのは、インドでヴィシヌ神が馬頭の姿に化身する説話が伝わったとも言われます。関東でも街道の路上の石碑に馬頭観世音と記し、庚申塚信仰とともに民俗信仰の雄となりましたが、もう少し日本史を正確に考察すると、馬頭観音の優れた尊像が制作されたのは筑紫観世音寺を含めて平安末院政・源平時代から鎌倉時代、時に室町戦国時代で戦乱多く、修羅道盛んなな時代で、畜生道・修羅道に墜ちた衆生救済の本尊に作られたものです。またこれ無量寿如来、すなわち阿弥陀仏の忿怒身にして観音をもって自性身とし、台密では大忿怒威猛摧伏の形なれば馬頭明王と称し、五部の明王中蓮華部の明王とします。また生死の大海を跋渉して四魔を摧伏する大威勢力大精進力を表わし、無明を食い尽くすともいわれます。
仏、菩薩は優しいお顔だけではない。時に鬼の恐いお顔をして衆生の悪心を挫き、弱さを励まし元気づける。仏像は単なる偶像ではありません。尊像に必死に祈るところにご利益があることを示すのです。