古典会だより-お盆の心-

七月は盆月とも言われ、旧暦では秋のはじまり(今の新暦では八月)、俳句の季語は秋で、実感とズレがあるかも知れません。七月七日は仏壇や仏具を清掃し、草の生い茂ったお墓の草取りをし盆道つくり,盆花迎えの日とされ、衣類の虫干し、牛馬の水浴び、年に一度の井戸浚サラえ(井戸替え、井戸水を汲み出し、内部を清掃)をしていました。

○越後路や海辺の墓の盆支度 吐天
○盆近し仏のことはまかされず 芳沙

『嬉遊笑覧』には、「江戸にて近頃(文政2,3年1819・20年頃)より七夕の短冊作り、篠竹に種々の物を色紙で作って吊す」のが大流行とあり、七日の朝、里芋の葉の上の露を集め、前日に洗っておいた硯で墨をすり、書道・裁縫その他技芸諸事全般上達の願いを書いて竹に吊し、翌朝流し去る七夕の行事が習合し、今に続いています。
およそ1万5000年前の縄文時代でも日本人は墓所をつくり、亡き人を葬り、霊魂をまつりました。

○ふるさとに帰りて盆会をいとなむとて 家はみな杖に白髪の墓参り 芭蕉
○わらぢながら墓参り 息災でお目にかかるぞ草の露 一茶
○山かがしあそべる墓に詣でけり 秋桜子
○うら盆や疎ウトきぞわぶる友の墓 未詳

位牌は霊魂の依代ヨリシロで、先祖代々は祖霊をはじめ代々の霊です。お盆は人一人今あるのを考えるに,兄弟姉妹は入れず、両親そのまた両親と直系だけを数え、七世代まで、およそ200年前までとして、少なくとも254人の人の生命がかかわってきています。更にはその人たちにゆかりの人達を有縁無縁の霊位と考えます。江戸時代以来真宗の一派を除き、仏壇とは別に、盆棚・精霊棚・魂棚を設け、故人や先祖の位牌だけでなく、三界万霊、有縁無縁の霊位までまつり、ご先祖様の乗物として牛馬をかたどって足をつけたナスやキュウリ、魂に見立てた鬼灯ホオズキを飾ります。
以前は七月十二日夜から盆市(草市)が立ち,魂棚に供える蓮の葉、真菰マコモ(イネ科の多年草、沼沢に群生。種子と若芽は食用、葉は筵や牛馬の作り物にも)筵ムシロ、鬼灯、溝萩(みぞはぎ、仏前に供う、精霊花、水かけ草)や苧殻(おがら、麻の皮をはいだ茎。供物の箸、門火を焚く料)などを売りました。

○草市やよそ目淋しき人だかり 虚子
○草市のあとかたもなき月夜かな 水巴

720年編纂の『日本書紀』推古天皇14年(606)に「是年より初めて寺ごとに、四月の八日、七月の十五日に設斎す」とあり、四月八日のお釈迦さまの降誕を祝す灌仏会(花まつり)、七月十五日は盂蘭盆会うらぼんえの始まりとされます。盂蘭盆会はインドでは七月十五日に三ヶ月の夏安居修業を終えた僧たちを接待する法会でしたが、日本では亡魂への追善供養、特に現在、過去七世の父母の供養と、生命の源たる飲食不能に苦しむ餓鬼に施しを行う、施餓鬼会になりました。寺では施餓鬼壇を作り、竹で結界し、東に妙色身如来(阿閦如来)、南に宝勝如来(宝生如来)、中央に広博身如来(大日如来)、西に甘露王如来(阿弥陀如来)、北に離怖畏如来(釈迦如来)の五仏をまつります。「五如来の名を称うれば、仏の威光の加被をもっての故に、能く一切餓鬼らをして無量の罪を滅し、無量の福を生じ、妙色広博なるを得、怖畏なきを得て、所得の飲食は変じて甘露微妙の食となり、即ち苦身を離れて天浄土に生ず」というのです。仏と仏の教え(法)、それを説く僧の三宝に両親や先祖、餓鬼ともに相俟って思いをいたす法会でしょう。

『日本書紀』斉明天皇3年(657)七月十五日に「須弥山シュミセンの像を飛鳥寺の西に作る。また、盂蘭盆のおがみ設く」とあり、同5年(659)には「群臣に詔して、京内の諸寺に、盂蘭盆経を勧請(と)かしめて、七世の父母に報いしむ」とあって、先祖、とりわけ親しい父母への思いが述べられています。

『続日本紀』聖武天皇天平5年(733)七月に、「初めて大膳職をして盂蘭盆の供養を備えしむ(諸寺の盂蘭盆会の供物の調達は出来るだけ良い物をと考え、はじめて宮廷の食膳担当の大膳職に行わせた)」とあります。供物は飯(ごはん)、米粉の団子ダンゴ、野菜、果物、菓子などで百味と称します。特に飯と団子は蓮の葉に盛ります。蓮の葉は表面に細毛がびっしり生えており、顔をよせるとひんやりとして微香が漂い、天然の冷蔵です。

○お盆の御飯ふっくら炊けた 山頭火
○トマトを掌テにみほとけの前に ちちははのまへに 〃
○うどん供えて母よ わたくしもいただきまする 〃

七月十三日は墓前に香を奉り、礼拝して提灯に灯を点じ、生けるを迎え参らす如く家まで来るを、家人苧殻オガラを燃やして迎え入れ、魂棚タマダナに移します。

 

○迎火にしばし夕日のあたりけり 鵬子
○ふた親と二三日くらすお盆様 鬼三太

十三日の迎えは夕方早めに、十六日の送りは夕方名残りを惜しんで遅めにの心づかいもあります。

○夏たけて堀のはちすの花見つつ仏の教へ思ふ朝あしたかな 昭和天皇
○なき人の此世に帰る面影のあはれふみ行く秋のともしび  新続古今

年に一度、有縁・無縁の霊を仏の教えのもとに迎え入れ、亡くなった人びとは別れた後も長く共に生きる人達であること、それが日本人の伝統的智慧と言えましょう。