今回は拝島大師の師、師の漢字の説明をします。師は左が堆の本字(音はタイ)右が帀(ソウ)の合字で、堆は岡おか、またうずたかいの意、帀はめぐる、一帀は一周、故に二字を合わせて多人数の意味。一に二千五百人とします。それから師は転じて多くの人数の指導者となります。中国古典の『周礼』天官、大宰では「師は賢をもって民を得る」とあって民を教導する官を言います。他方、同書、地官、序官に師氏を説明して、「師は、人を教うるに道をもってする者の称なり」とあります。これから転じて『礼記』内則には、「子、師たらしむ」に注して、「師は、教示するに善道をもってする者なり」とあります。また『礼記』学記には、「師、五服に当たる無し」に注して、「師は、教の師なり」とあります。また『礼記』文王世子には、「出づれば則ち師有り、師なる者、これを教うるに事をもってして諸徳に喩う者なり」とあり、その他の古典の文献では、『淮南子』主術訓に、「師師諭導」に注して、「師とは、すまいて法則を取る所の者なり」とあり、『法言』学行には、「師なる者は、人の模範なり」とあります。以上、要するに師とは先生です。
師の熟語には師すなわち先生をより美化した用語が多く、師君、師長、師父、師尊、師宗、師師などで、更に展開した意味もあります。師表は単に先生の意味だけでなく、てほん、亀鑑、模範の意もあります。師友は師と仰ぐ友、師恩は師のめぐみ、先生の恩、師家は先生の家、師效は師としてならう、師学は師としての学問、師道・師法は先生として規範、師号は学徳抜群の僧に与えた称号ですが、法師、大師、禅師など数種があります。
ただ、師匠という意味は多様です、本来は師表と同じ手本となる人、立派な師、優れた先生の意味で学徳高い高僧に対して弟子が呼ぶ言い方でした。仏教字院では師が弟子の戒・定・慧の三学を成就させることは、ちょうど工匠が器物を造作するのと同様であるから、譬えて匠というという説明もあります。さらに日本近世では芸道遊戯などを教える人を師匠と呼び、儒学・国学などの学問を教える先生とは区別することもあります。