拝島大師旧本堂・大黒堂奥に薬師如来・日光・月光両菩薩、十二神将が揃いました。薬師如来、お薬師さんについて、前号の続きを述べます。
○薬師如来の正式なお名前に薬師瑠璃光如来という呼び名が有ります。瑠璃光の瑠璃はガラスに似た宝石ですが、一説にはダイヤモンドだとも言います。瑠璃光は光の最上を言います。朝、東から昇る太陽の光、だから薬師の世界は東方瑠璃光世界と名づけられました。唐の時代の中国は西に波斯国のササン朝ペルシャ、イラン、更にハルシャ・バルダナ朝インドがありました。中国は東方の国でした。しかし、さらに東方海上に朝鮮新羅の国がありました。さらには日本国です。
○法隆寺金堂の薬師如来は聖徳太子が父用明天皇の病気平癒を祈って作ったとされる日本最古の薬師像です。また奈良法輪寺は聖徳太子の病気平癒、薬師寺は天武天皇が后、後の持統天皇の病気を祈って作ったとされます。寺院と薬師如来像の建立発願がどなたか貴人高位の人の病気平癒と結ぶ縁起由緒は全国それこそ枚挙するに暇無いほどでしょう。大抵、薬師如来は左手に薬壷を持っています。右手は施無畏印、左は与願印ですから、医薬を与えるのが薬師如来の本願だというのです。蛸薬師、石薬師など庶民信仰も盛んです。絵馬に「め」の字を右書き、左書きに沢山書いて、めめめめめと眼病を薬師さんに祈る人々何ともほほえましいではないですか。
○ただ、ここに病気との関係では説明のつかない重要な事例があります。比叡山延暦寺の事例です。天台宗祖伝教大師最澄上人が一乗止観院根本中堂本尊とした白檀製の薬師如来は入唐を決意した大師が旅の安全のため作った四体の一とされ、他は各地各所に祭祀したのです。大師は自分の署名に大日本国沙門最澄としています。最澄さんはその仏教は日本の衆生教化のため、その戒は一乗戒にして中国の戒とは違う大乗相応の日本僧侶養成のためという考えを持ちました。そうであれば、法華経によれば釈迦如来、密教では大日如来となるところを薬師如来を本尊に選んだ理由は明らかです。東方世界、薬師瑠璃光世界を大日本国に見立てて、その教主として薬師如来を選んだのです。最澄さんが自分の署名に大日本国沙門最澄としているのは、日本の国を光り、光明で満ちた国に建設する。薬師如来と日光・月光両菩薩、十二神将の各各に守護された国が日本国であるという意識を強く打ち出し、弟子達に精進努力を期待したのでありました。なお、全国にある八幡護国寺が日本の神の本地仏として祈願されました。江戸幕府を開いた徳川家康も東照大権現という神号で日光東照宮に祀られましたが、本地は薬師如来です。家康は死後も薬師如来となって東国、日本国を照らそうというのでした。