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釈迦如来、お釈迦さまの話-その17-

ガンダ-ラ以外の仏像彫刻の発生 パキスタン北西部のペシャワール地方の古名であるガンダ-ラで紀元前後より数世紀にわたってギリシア彫刻の影響を受けて仏像が作られてガンダ-ラ美術と呼ばれますが、これとは別に2世紀のインド北部のマトゥラ―式彫刻ができました。ガンダ-ラ式仏像が思索する面立ちで「人生は苦なり」その根源を探して苦悩に満ちた釈尊から、マトゥラ―式はさとりを開き、成道した喜びを顔面いっぱいというより体中で表現しようとした仏像です。さらに4世紀のグプタ式に発展すると、最も洗練された釈迦像が刻まれるようになりました。
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慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その31-

○正月二十日、暮れ際、僧正①が来て、あい看て慰情(慰問)した。
○正月二十一日、斎の後、遣唐大使等の去年十二月六日の書が将来された。案ずるにその書状にいう、「十二月三日平善(平安)に上都②に到り、東京③礼賓院に安置せられた」と。その状は別のごとし。長判官の傔従(従者)村清が同月同日の状にいう、「今月三日辰の時(午前8時)、長楽駅④に到り、勅使迎え来り、詔問を伝え陳べ、遣唐大使は礼賓院に到り、兼ねて朝拝畢るものなり」と。ほぼ事由を知る。
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古典会だより-秋の七草・撫子 瞿麦 なでしこ ナデシコ

万葉集』に山上憶良(六六〇-七三三)の「秋の野に咲きたる花を指折りかきかぞふれば七種の花」「萩の花、尾花、葛花、瞿麦の花、女郎花、また藤袴、朝顔の花」とありますが、秋の七草は日本固有種で、「ハギ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、オミナエシ、クズ、フジバカマこれぞ七草」と親しみ口づさまれ、千三百年以上も前から観賞用として姿、形、香りの良さが愛されて来ましたが、食用、薬用、建築工芸用にと、実に多様で有用なものでした。
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【漢字講座】山(やま)

秋は山が綺麗に見えます。紅葉があれば一段と美しくなります。今回は山の漢字を説明しましょう。
山の下の一は地上、また水平線です。そこから中央、左右の三山が飛び抜けて高く見えます。漢字を作った中国人が考える山は三峰なのです。
山は模様ともなり、それを着る第一は帝王の儀服になりました。日本に伝わった僧侶の袈裟模様に遠山があり、これは襖絵にもなります。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その16-

釈迦像の作成問題 釈尊の像、すなわち釈迦如来像は彫刻や絵画が釈迦と釈迦の教え、仏教が広まったインド、アフガニスタン、中央アジア、中国、朝鮮、日本、さらにスリランカ、ミャンマ-、タイ、カンボジャ・ラオス・インドネシア・ベトナムなどに残されています。
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慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その30-

○正月十八日、暁に薬粥①を供養し、斎時にはすなわち飯食を供した。百種、味を尽くす。視聴の男女、昼夜を論ぜず、会集多数なり。兼ねて堂頭②において、斎(食)を設け僧に供せり。夜に入り、さらに灯を点じて供養し、兼ねて梵讃③を以てす。
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古典会だより-お彼岸(ひがん)-

日本は春夏秋冬、四季の移り変わりに恵まれ、それぞれの季節のはじまり、真っ盛り、終わりを大切に考えてきました。小寒・大寒・節分・立春・雨水・啓蟄・春分・穀雨・立夏・芒種・入梅・夏至・小暑・大暑・立秋・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至などの言葉があります。各季節の順当なめぐりを願って、立春・立夏・立秋・立冬の前の18日間は土用と言いますが、夏の土用が代表です。
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【漢字講座】暑(しょ・あつい・あつさ)

今回の漢字講座は今夏の猛暑に因み暑の漢字の意味を考えてみましょう。漢字が象形文字とすると、暑い・あつさは象形ではありませんが、上に日があり、その下の者とはいかにも今年の40度を超えた暑さの様子を示しています。ギラギラ照りつける暑さ、思い出すのもゾッとし、汗がたらたら出ます。それにこのネット更新の時期ではまだ十分に暑い。残暑が果てしなく続きます。『説文』による漢字の意味では「暑は熱なり」とあります。『説文段注』では、「暑と熱とは、渾(混)じて則ち一なり。故に許すに熱をもって暑に訓じせしむ」とあり、その『釈名』では「暑は煮るなり。熱の物を煮るがごときなり」とあります。また別の中国古代の漢字の解説書である『正字通』には「暑は、夏の日気の熱なり」とあります。暑はあついだけでなく、あつさともなります。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その15-

釈迦の生涯が信仰の対象に 釈尊は釈迦国の首都カピラ城から南方マガダ国との中間にあるクシナ―ラ―という地方都市で80歳の生涯を閉じました。釈尊が没すると、その遺体は荼毘(火葬)に付されて、その舎利は生前に釈尊と関係の深かった諸方の国王や種族の間で八等分され、各地で舎利塔を建てて祀られました。
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慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その29-

○開成四年正月十七日、沈弁①が来て、遅発のことに助憂した②。そこで円仁は質問した。「殊(こと)に相公の牒③を蒙り、台州に往く④ことを得るや否や」と。沈弁書もて答え⑤て云う、「弁、相公に諮問すること、前後三、四度なり。諮もて説くに、本国⑥和尚の台州に往くに、一文牒を擬して、得るや否やを審らかにせざらんや」と。
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