拝島大師では現在、本堂前大師さま御宝前に五重塔建立中です。なお、拝島大師では先に昭和58年(1983)、築山上に多宝塔を建立、大師の御本地如意輪観音さまを祀りもって拝島大師奥の院としています。多宝塔は二重塔、今度は五重の塔でこちらの方が皆様にはよく知られたた存在です。そこで今回の漢字講座は塔の漢字の説明をします。
塔は土へんに右側に答案の答によく似た字が付きます。竹冠ではなく、草冠です。草は艸の本字形です。塔の右側の字は答案の答と同じ「とう」がその音です。でも塔は漢字の母国である中国古代に象形文字として作られたものではありません。
古代インドで釈尊が亡くなった時、釈尊の遺体は火葬(荼毘)になり、釈尊の遺骨・遺歯牙は舎利とよばれ尊ばれました。それに遺髪その他を加えてストゥ-パとよぶ施設に納められました。ストゥ-パは漢字で卒塔婆と書き、略して塔婆、さらに塔と呼びます。塔を下部からみると、基壇を方形に作り土を高く盛った上に半球形をかぶせます。その中には釈尊の舎利(遺骨・遺歯牙)・遺髪その他が納められました。四面には鳥居形の門が付き、若き釈尊の四門出遊の故事に因みます。円形物の上には竿が立ち、それに種々の形の物が付いて全体として目立つ記念物になりました。
さて、塔という漢字について考えてみましょう。塔は土・石を高く積むことから、塔が土に縁のある、本来は土を高く盛ってその上にいろいろな形の物を載せて記念物にしたことが分かります。塔の音は「とう」ですが、答案の答に通じます。ただ答案の答は竹冠ですが、塔の右字は草(艹=艸)冠です。なお、塔とよく似た漢字に搭があり、手(扌)へんになっています。搭の意味は「つむ」です。土石を積んだ塔の類字であることがわかります。
インド仏教でははじめ原始仏教から顕教では塔を積むのは孝徳を表すとし、仏陀ないし有徳の僧侶に限って建立することを許しました。その後密教が興るとこれを仏体とみ、一般僧侶にも建立を許しました。
インドから西北インドを経て中央アジアに塔が広まると、各地ではそれぞれの土地の高楼建築上に塔が載ることになりました。東アジアではまず中国に八重、九重それ以上という多層塔が八角堂の上に載りました。中国でも上海近辺の松江県方塔のように四角形の塔がないわけではありませんが多く八角塔です。それに対し日本は逆に八角塔がないわけではありませんが多く方塔で三重、五重がほとんどです。でも大和多武峰談山神社には十三重塔があります。中国その他アジアの塔建築は別の機会で触れましょう。