【漢字講座】宮(きゅう、みや)

初宮詣、七五三宮詣といいますが、宮という漢字はもともと如何なる意味で作られた漢字でしょう。宮は宀かんむりに呂です。呂は「いろは」の「ろ」です。

呂は背骨の骨が相連なる形を象ったものです。宀自体も一漢字ですが、屋根を四方に垂れた深い家、堂・室のある奥深い巨大な家をいいます。拝島大師本堂元三大師中堂の巨大な屋根は宀の意味がぴったりです。宀の下に背骨を連ねた建造物群が沢山存在する。ますます拝島大師は宮ぴったりの漢字です。拝島大師宮詣が実に字義に適っていることが理解できます。
さて、宮は実に多くの意味を持ちますがそれを順に見てみましょう。まず、①「いえ、すまい」の意、②「かき、かきね」、いえを取り囲む施設です。拝島大師では最近これが完成しました。③は②に関係して「とりかこむ、めぐる」という動詞の意味があります。④「へや」は家内部の部分です。⑤「奥のへや」は特に後宮と言います。帝王が持つような奥の部屋です。宮中女性の生活空間です。⑥「みや」、初宮詣、七五三宮詣に関係しますが、種々な意味があり、第一には「天子・王者の住居」、第二に「みたまや、廟宇」、古代中国では祖先神をまつる宗廟を言いましたが、中国に仏教が伝来すると仏像をまつる堂舎も宮(みや)と呼び、仏教が日本に伝わるとやはり仏殿を宮と呼びました。第三に神祠、これは中国で道教廟観に使用しました。第四に「神仙の住居」です。仏陀も神仙と同一とされますので、「仏陀の住居」、すなわち寺(てら)・寺院(じいん))も宮です。⑦「君」、王侯・諸侯をいいます。日本で皇族を宮、宮様という使用法になります。⑧「妻子」は「宮室」、大きな家の部屋住みです。⑨「仏寺」、これは先の⑥「みや」でみたものです。⑩「学校」、これはだから学校は神聖で大事なところだとなります。⑪「星のやどり」、星宿のこと、特に司馬遷『史記』天官書では、中宮という天極星があります。⑫「ひつぎ」、梓宮という使用で、これは『古事記』『日本書紀』のそれぞれ神代巻に見えます。⑬「こころ(心)」、こころの奥深い大事な個所をいうのです。⑭宮を「みや」ではなく、「きゅう」とよんだ時ですが、第一に五音の一、「宮(土)・商(金)・角(木)・徴(火)・羽(水)」の一です。⑮「五刑の一」、「宮刑」、男子の生殖機能を去る刑罰で死刑に次ぐ重罰であったが特別な場合を除き、秦漢以降無くなった。⑯「からだ」の意、⑮の延長です。大事にしましょう。
さて、ここで和語、すなわち日本語の「みや」の意味を考えてみましょう。「み」は接頭語で御という尊敬語です。「や」は屋(家)の意味、漢字のほぼ宮と同じ意味です。それでも日本語の「みや」には種々の意味があります。①仏堂のこと、寺、善本古本とされる岩崎本『日本書紀』推古天皇一四年五月、「仏堂を造ること訖りて、堂に入るること得ず」の室町時代の「堂」字の訓に「ミヤ」とあり、『釈日本紀』一九、秘訓四に「仏刹」を「ほとけのミヤ」と訓じています。②天皇の住む御殿、皇居、御所、禁裏のこと、『古事記』下・歌謡「山城の筒木の美夜(ミヤ)に物申す 吾が兄の君は涙ぐましも」とあり、『万葉集』一八、四〇九九、大伴家持の歌に「古へを思ほすらしもわご大君、吉野の美夜(ミヤ)をあり通ひ召す」とあります。③「みや」を宮として、「御屋」の訓として、神の居る御殿とし、神社・神宮の意味としたのは、案外新しく、『出雲風土記』楯縫に、「五十足る天の日栖の宮の縦横の御量」はとあるのが早い文言で奈良時代初期です。④②の天皇の御殿の拡張した使用法ですが、皇后・中宮・皇子・皇女および皇族の御殿をいい、さらにそれがさらに拡張して皇后・皇子らの皇族を指します。その場合、はじめは皇后宮、皇太后宮という宮でしたが、後に一家を立て、特別な名称を冠した親王の称号となります。秋篠宮、三笠宮、高円宮の類。また中宮そのものの名称ではなく、中宮識を宮と称することもあります。なお、伊勢神宮関係者には天皇即位の度ごとに選定され、未婚の皇女、女王の皇族女性が就任する斎宮(いつきのみや)があり、崇神天皇の時代にはじまると言われ、後醍醐天皇の時代に廃絶しました。もちろはじまりは伊勢神宮が創始された持統天皇時代の七世紀後半以降、多分平安時代に入ってからでしょう。その就任の前提に潔斎のために一年間籠もる宮殿を野宮(ののみや)と呼びました。また伊勢神宮の斎宮と似たものに斎院があり、これは京都賀茂神社に奉仕した未婚の皇女、女王です。『源氏物語』賢木(さかき)には伊勢のの冒頭にに源氏が野宮に行って、六条御息所が斎宮とともに伊勢の斎宮、賀茂の斎院のことが同時に登場して、源氏、藤壺、六条御息所の運命に複雑な影響を与える。⑤神のいる大社、御殿、つまり神社や神宮ですが、一般的には宮が多く神社を意味するようになるのは平安・鎌倉以降、特に中世に普及したようです。