最新の考古学情報文化庁編『発掘された日本列島 新発見考古速報 2018』によると、平成29年度は沖縄県石垣市の白保竿根田原洞窟遺跡から約2万4000~1万6000年前の化石人骨が多数出土し、旧石器時代の葬送の地という画期的な報告がなされ、活発な意見交換がなされたとか。また千葉県千葉市の特別史跡加曽利貝塚は縄文時代中期から晩期(約3000年前)にかけての竪穴住居建物や土坑が多数発見され、200体以上の埋葬された人骨が出土しており、貯蔵穴・埋葬遺構などを伴う集落遺跡でもあるとか。
ここでは縄文時代中期中葉(約5000年前)から後期前葉・中葉(約4000年前)に形成された2つの巨大な貝塚が連結しており、縄文人がいかに沢山の貝を食べていたかにビックリ。とりわけ丁寧に埋葬された犬骨が14~15例と多く、縄文人と犬が協働して狩猟を行い、家族のような親密な関係を示すものと注目され、加曽利貝塚PR大使「かそり-ぬ」と名づけられているとか。たゆまざる努力による新たな発見と考察、着実な学問の展開と発展には驚くばかりです。太古の昔から、人は生まれて生きて死んで来たのですが、日本では可能な限り、死者を丁寧に葬り、その後も共に生き続けてきました。
△七月は盆月とも言われ、旧暦では秋のはじめです。西暦720年編纂の『日本書紀』には、推古天皇14年(606)に「是年より初めて寺毎に、四月の八日、七月十五日に設斉す」とあり、七月十五日は盂蘭盆会うらぼんえの始まりとされます。さらに『日本書紀』斉明天皇3年(657)には「群臣に詔して京内の諸寺に盂蘭盆経を勧請(とか)しめて、七世の父母に報いしむ」とあります。人一人今生きてあるのを考えるに、兄弟姉妹は入れず、両親そのまた両親と直系だけを数え、七世代までおよそ200年までとして、すくなくとも254人の生命がかかわって来ています。更にはその人たちにゆかりの人達を有縁無縁の霊位と考え、過去、現在、未来の三界万霊にまで思いをいたし供養する。ついては生命の源たる飲食不能に苦しむ餓鬼に施しを行う施餓鬼会になりました。
奈良時代になって聖武天皇は「天平五年(733)七月十五日、初めて大膳職をして盂蘭盆の供養を修せしむ」とあります。諸寺の盂蘭盆会の供物の調達は出来るだけ良いものをと考えてはじめて宮廷の食膳担当の大膳職に行わせたというのです。
△寺では施餓鬼壇を作り、竹で結界し、東に妙色身如来(阿閦如来)、南に宝勝如来(宝生如来)、中央に広博身如来(大日如来)、西に甘露王如来(阿弥陀如来)、北に離怖畏如来(釈迦如来)の五仏をまつります。仏と仏の教え(法)、それを説く僧の三宝に両親や先祖、餓鬼、有縁無縁ともに相俟っての法会でしょう。
慈覚大師円仁『入唐求法巡礼行記』開成5年(840)7月15日には「度脱寺に入り、めぐりて盂蘭盆会を礼し」とあるのが注目されます。『日本書紀』天武天皇14年(685)3月27日の詔に「諸国の家毎に仏舎をつくりて、仏像および経を置き、礼拝供養せよ」とあり、次の奈良時代聖武天皇の天平13年(741)国分寺創建と続き、各家の仏壇とお墓、寺とが、亡き人をしのぶよすがとなって来ました。
江戸時代ではお盆の入りは十三日で、魂迎えと言って夕刻より寺に行きます。天保9年(1838)『東都歳時記』注の『絵本江戸風俗往来』に「墓前に灯火を奉り、礼拝をなし、生けるを迎え参らすが如く、家々の家紋つきたる弓張提灯を点じて路上を照らしつつ迎へける。武家は門を押し開き、玄関より間毎に麻裃(かみしも)を着して相詰め、その厳然たること、あたかも生ける人の来臨し給うに同じ。町家は前もって家内を清め、武家と同じく魂棚を構え、番頭、手代、小僧ある家にては、皆店に居並び、家族打ち揃い戸外に芋がらを積み、火を移すや鉦打ち鳴らし、称名を唱え、火焚き終るや霊魂を棚の許へ案内なす。式、実に信実に行う。これまた帷子(かたびら)、薄羽織を着したり」と記します。供物は飯、米粉の団子、果物、野菜など。特に飯と団子は蓮の葉に盛ります。蓮の葉は表面に細毛がびっしり生えており、ひんやり冷たく天然の冷蔵です。十三日の迎えは夕方早めに、十六日の送りは名残り惜しんで遅めにの心づかいです。
お盆は、年に一度、有縁、無縁の霊を迎え入れ、共に生きて来たのが日本人の伝統的智慧と言えましょう。
○なき人の此世に帰る面影のあはれふみ行く秋のともしび 新続古今
○うら盆や疎きぞわぶる友の墓 俳諧新類題発句集
○ふた親と二三日くらすお盆様 高木鬼三太
○お盆の御飯ふっくら炊けた 種田山頭火
○トマトを掌にみほとけの前に ちちははのまへに 〃
○数ならぬ身となおもひそ玉まつり 芭蕉
△△△太祇(炭太祇)一周忌に
魂かへれ初裏の月のあるじなら 蕪村
「ありがたかね。こまんか魚たちの命ばもらうて 私たちは生かされとる」平成8年11月杉本栄子
********石牟礼道子(1927~2018)『苦界浄土』より