古典会だより-ごはん・お施餓鬼・お盆さま-

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西暦720年編纂の『日本書紀』には、推古天皇十四年(606)夏四月八日、銅・繍の丈六(1丈6尺、約4・8メ―トル)の仏像を飛鳥寺(のちの元興寺)金堂に安置し、(食事を供える)斎を設く。これにまかり集える人ども、あげて数うべからず。この年より初めて寺ごとに、四月八日、七月十五日に、設斎すとあり、お釈迦さまの誕生祝いの灌仏会かんぶつえ、盂蘭盆会うらぼんえの始まりとされています。ついで斉明天皇三年(657)には仏教世界の中心の山である須弥山シュミセンの像を飛鳥寺の西に作り、また、盂蘭盆経のおがみ設くとあります。

奈良時代になって聖武天皇は天平五年(733)七月十五日、初めて大膳職をして盂蘭盆の供養を修せしむとあります。
百種の供物を仏・宝・僧の三宝に供えて、七世の父母の恵みに報いしむというのですが、人が一人、今あるのは、両親、そのまた各々の両親とたどって行くと、七世では、254人の人の生命がかかわって来ています。人が生きて、活動する、その根源は食にあり、食べること大切故に、食べられない餓鬼を思いやり、供養する施餓鬼会が盂蘭盆会に加わりました。施餓鬼壇を設け、五如来を祀り、五如来の名を称うれば、仏の威光の加被をもっての故に、能く一切餓鬼らをして、無量の罪を滅し無量の福を生じ、妙色広博なるを得、怖畏なきを得て、所得の飲食変じ、甘露微妙の食となり、即ち苦身を離れて天浄土に生ずと供養します。

平安時代の『かげろふの日記』には、
○例もものする山寺へのぼる。七月十五、六日になりぬれば、ぼに(盆)などするほどになりにけり。見れば、あやしきさまにになひ載だき、さまざまにいそぎつつあつまるを、もろとんに見て、あはれがりも、わらひもす。
とあり、盆供養の品を携えて寺の法会に集うさまが描かれています。

201606_01鎌倉時代、1299年制作の『一遍上人絵伝』は、道中、簑笠だけでなく番傘も使ってたとか、当時の生活風俗が興味深く描かれていますが、中でも、鎌倉で野宿する一行に、僧俗が食べ物を運び供養する場面、ついで奈良の当麻寺では一遍が人びとに念仏を説き、食物をになったり、頭に載いたり、捧げ持つ人びとが続いて、一遍の一行の僧に食べ物を供養する場面があります。両袖をたくし上げ、大きな杓子シャモジで白いご飯を山盛りにし、器に汁をつぐ人、それを箸を使って実にうれしそうに食べる様子が生き生きと描かれています。

江戸時代天保9年(1838)『東都歳時記』注の『絵本江戸風俗往来』に記します。
○真宗の一派を除き、その他の檀家なるは、武家町家何業の別なく魂棚を飾り、先祖累代の精霊を始め、有縁の霊はなおさら、無縁のやからに至るまでの供養を営むこと、貧富の別なく、家あるやからは一般とす。なかんずく、身柄ある武家、筋目正しき町家においては、魂迎(たまむかへ)とて十三日の夕刻より各自の檀那寺に行き、墓前へ灯火を奉り、礼拝をなし、生けるを迎え参らすが如く、家々の家紋つきたる弓張提灯を点じて路上を照らしつつ迎へける。
○御迎火は十三日の日暮れに武家・町家の別なく、諸大名及び禄高多き旗本方を除くの外、毎戸必ず焚きて霊魂を迎うという。武家は門を押し開き、玄関より間毎に麻上下を着して相詰め、その厳然たること、あたかも生ける人の来臨し給うに同じ。町家は前もって家内を清め、武家と同じく魂棚を構え、番頭・手代・小僧ある家にては、皆店に居並び、家族打ち揃い、戸外に芋がらを積み、火を移すや鉦打ち鳴らし、称名を唱え、火焚き終わるや霊魂を棚の許へ案内なす。式、実に信実に行う。これまた帷子(かたびら)・薄羽織(うすはおり)を着したり。この御迎火(むかへび)、隣家向う前とも同時に焚く。
○されば当日、内外とも賑わうこと夥(おびただ)しかりし。この以前より、盆使進物の贈答あり。武家は刺鯖(さしさば)の進物、町家は麺類を進物とす。
供物は飯、米粉の団子、李(すもも)・杏(あんず)・棗(なつめ)などの果物、時の野菜など百味。特に飯と団子は蓮の葉に盛ります。蓮の葉は表面に細毛がびっしり生えており、ひんやり冷たく天然の冷蔵です。
○十三日の迎えは夕方早めに、十六日の送りは夕方名残り惜しんで遅めにの心づかいもあります。
年に一度、有縁・無縁の霊を迎え入れ、亡くなった人びとは、別れた後も長く共に生きる人たちであること、それが日本人の伝統的智慧と言えましょう。

  • 夏たけて堀のはちすの花見つつ仏の教へ思ふ朝(あした)かな 昭和天皇
  • なき人の此世に帰る面影のあはれふみ行く秋のともしび 新続古今
  • ふた親と二三日くらすお盆様 高木鬼三太
  • 盆近し仏のことはまかされず 中村若沙
  • お盆の御飯ふっくら炊けた 種田山頭火
  • うどん供えて母よわたくしもいただきまする 種田山頭火

◇◇拝島大師本覚院施餓鬼会◇◇
七月十五日午前十一時
於本覚院客殿