古典会だより-梅、春告草、匂草、香散見草

バラ科の落葉喬木。桃、桜、杏、花梨などと同じ仲間で、葉より先に花が咲き、しかもいずれもそれぞれ図抜けて美しく、果実は食用、薬用共に有効です。とりわけ梅は、未だ寒中の早春に百花にさきがけ、高い香気を放って馥郁と咲き、気品ある清雅な花として好まれてきました。『万葉集』では一四〇首の萩に次いで数多く(一〇〇余首)取り上げられ(桜は四〇余首)、野山のだけでなく古くから庭に植え、愛好されてきました。春告草(はるつげぐさ)、匂草(においぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、香栄草(かばえぐさ)、初名草(はつなぐさ)、好文木(こうぶんぼく)、木花(このはな)などの愛称もあります。

梅の詩歌の早くは七世紀後半の葛野王(天智天皇・天武天皇の孫)の五言詩○春日鶯梅を翫す一首が奈良時代の漢詩集『懐風藻』に載ります。
○聊に休暇の景に乗り、苑に入りて青陽を望む、素梅素靨を開き、嬌鶯嬌声を弄ぶ、此に対かひて懐抱を開けば、優に愁情を暢ぶるに足る、老の将に至らむとすることを知らず、但春觴を酌むを事とするのみ。
○いささか休暇を利用して、園に入って春色を眺めた、白梅は白く咲きほころび、可愛いい鶯は美しくあでやかな声でさえずる、これに対して自分の胸のうちを開くと、のびやかにゆったりとして愁いの心をやわらげるに足りる、老いが身に迫ってきているのを忘れて、ただひたすら、春の酒觴を傾け、陶然としてよい気分になっているばかりである。
○同じく奈良時代の『万葉集』天平二年(七三〇)正月十三日、大宰府の帥(長官)大伴旅人の宅で梅花の宴が開かれましたが、役人のみならず薬師(医師)、神司(神官)、陰陽師などいろんな階層の人びとが集い、和歌を残し、以来梅見の宴の範とされました。

○正月立ち春の来らば斯くしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ 大弐紀卿
○春さればまづ咲く宿の梅の花独り見つつや春日暮さむ 筑前守山上大夫
○梅の花今盛りなり思ふどち挿頭にしてな今盛りなり 筑後守葛井大夫
○わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも 主人(旅人)
○春されば木末隠れて鶯そ鳴きて去ぬなる梅が下枝に 小典山氏若麿
○梅の花咲きて散りなば桜花継て咲くべくなりにてあらずや 薬師張氏福子

『懐風藻』をはじめとする漢詩集は当時の一大文明国唐帝国(中国)の漢字文化に接し、外国語である中国語の詩文を懸命に習学習得せんとし、取得しえた成果であり、『万葉集』では漢字を道具として古人が思いを述べるべく日本語の歌(和歌)を作って努力した表記で、何やら、明治時代以来の、或いは今の英語受容の有様にもつながりそうです。

けだし、漢字からカナの考案・使用は、日本独自の思想や感性を発展させました。しかも、一方だけでなく漢字カナ混じりの表現です。日本文化は古来から多様性に富みつつ和歌や俳句など独自なものを生み出して来ました。『万葉集』や平安前期の『伊勢物語』「又の年のむ月に、むめの花ざかりに、去年を恋ひて行きて」の頃は「雪」と併用される白梅でしたが、平安中期藤原時代の『枕草子』『源氏物語』『更級日記』などでは紅梅が書かれ、日本独自の服装用語襲の名にもなっています。

○木の花は、こきもうすきも紅梅
○鶯は・・・竹ちかき紅梅も、いとよくかよひぬべきたよりなりかし
○御前の梅は、西はしろく、東は紅梅にて 以上『枕草子』

○「むかひなる所に、むめ、紅梅など咲きみだれて、風につけて、かかえ来るにつけても」『更級日記』

『源氏物語』紅梅では、「『(紅梅は)えだのさま、花ぶさ、色も香も、世の常ならず。園に匂へるくれなゐの色に、とられて、香なむ白き梅に劣れる」という』といふめるを、いとかしこく、とり並べても咲きけるかな」と対比させています、ちなみに乙女に、「猶、才を本としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も、強う侍らめ」とあるのは注目されます。

○「家にありたき木は・・梅は白きうす紅梅。ひとへなるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、みなをかし」『徒然草』

梅は花の姿・形・香に優れ、梅に桜、梅に椿は美しいものの代表、松・竹・梅は厳寒三友、梅・竹・水仙は三清、因みに梅は兄、水仙は弟とも。梅・水仙・沈丁花は三君、蘭・菊・梅・竹は四君子、菊・蓮・梅・蘭は四愛、梅・菊・蘭・老梅は四花、梅・桂・水仙・菊は四清と呼ばれ、多くの画題になっています。梅に鶯、紅葉に鹿、牡丹に唐獅子、竹に虎と画材になります。梅は花の兄と呼ばれるのは「まず枝頭に一点の春をあらわす」と表現されます。
梅は花だけでなく、梅の実は梅干、おにぎりの必需品となり、梅酢は薬用、食用、染料にと有用です。梅酒・梅びしおなどにも作り、果肉を煮詰めたり燻製にして薬用とされます。

○猫逃げて梅動けりおぼろ月 言水
○むめちるや絲の光の日の匂ひ 土芳
○深草の梅の月夜や竹の闇 月渓
○春もやや景色ととのふ月と梅 芭蕉
○多摩の山左右に迫りて梅の里 虚子