『万葉集』山上憶良(六六〇-七三三)「秋の野に咲きたる花を指折りかきかぞふれば七種の花」「萩の花、尾花、葛花、なでしこの花、おみなえし、また藤袴、あさがほの花」とあり、今回の秋の七草はキキョウ
☆桔梗キキョウ キキョウ科の多年草。古名はアサガオ、キチコウ。日当りの良い山野に自生。観賞用にも栽培。茎は〇・五~一メ-トル、切ると白い汁が出ます。根は人参のように地中に伸び、淡黄白色の太いヒゲ根を出し、葉は互生、長卵形で先はとがり、縁に鋸歯があり、裏は粉白色です。夏から秋にかけて、分かれた茎枝の頂に、青紫色または白色の釣り鐘形で先が五裂の鮮麗な花をつけます。根にはサポニンを含み、去痰作用が有り、種々の漢方薬や家庭薬に、粉末あるいは煎じて服用します。夏に根を掘って水洗いし、細根を除き、日光に当て乾燥します。また、若苗と根は食用にもなり、『救荒本草抜萃』に、「苗はよくゆで、よくひたして食う。老葉は干していり粉にすべし」とあり、救荒植物の一つでもあり、実に有用です。
『宇津保物語』国譲下に、「かくて 御使参りければ、青き色紙に書きて桔梗につけたり」とあります。『枕草子』には「草の花は、なでしこ、唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。をみなえし。桔梗・あさがほ。かるかや。菊。壷すみれ。龍膽は枝ざしなどもむつかしけれど、こと花どものみな霜枯れたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。」とあります。『源氏物語』手習に、「これも、いと心細き住まひの、つれづれなれど、住みつきたる人びとは、物清げに、をかしう、しなして、垣ほに植えたるなでしこも、おもしろく、女郎花、桔梗など、咲き始めたるに」とあります。『栄華物語』には、「女房は、その夜は朽葉の単かさね、桔梗の表着、女郎花の唐衣、萩の(裳、又の日は紅の)単がさね、女郎花の表着、萩の唐衣、紫苑の裳、又の日は桔梗・朽葉・女郎花・紫苑などを、六人づつ織り単がさね、やがて同じ色の織物の表着、裳、唐衣は栄へぬべき色どもを更へつつ着たり」とあります。『堤中納言物語』はなだの女御に「中宮は父大臣常にぎ経(無量義経に桔梗をかける)を読ませつゝ、いのりがちなめれば、それにもなどか似させ給はざらむ」とあります。古今和歌集物名に「きちかうの花 あきちかうのはなりにけり白露のおける草葉も色かはりゆく」紀友則 『徒然草』「草は、山吹、藤、杜若、撫子、池には蓮。秋の草は荻、薄、きちかう、萩、女郎花、藤袴、しをに、われもかう、かるかや、りんだう、菊。黄菊も。つた、くず、朝顔、いづれもいと高からず、ささやかなる墻に、繁からぬ、よし。この外の、世に稀なるもの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見馴れぬなど、いとなつかしからず」と。
桔梗は秋の野の七草のうちで、他に比して格別異なることがあります。それは、中国の『説文』『神農本草経』『戦国策・斉策』『荘子』にも桔梗とあり、漢方の要薬で、漢音のままで日本に自生する草の名になりました。そのためか、他の秋の七草に比して和歌に詠まれることが極端に少ないのです。『万葉集』山上憶良、『古今和歌集』紀友則以外、『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』などの和歌集にはほとんど選ばれていません。やまとことばとの口調の相性のせいかも知れません。紀友則の歌も「秋近う野はなりにけり白露のおける草葉も色変わりゆく」で「秋近う野はな」に「桔梗きちかうの花」を入れるため「近く」の音便形「近う」を無理に使っています。
近世の『風俗文選』百花譜「ききやうは其の色に目をとられり(鮮やかな紫の色に目を奪われる)、野草の中におもひかけず咲出たるは、田家の草の戸に(田舎の草葺きの家で)よき娘見たる心地ぞする」とあります。ただ芭蕉・蕪村には桔梗は見当らず、文化文政の一茶に次の句、
○きりきりしやんとして咲くききょうかな
大型の釣鐘状の青紫色の花が凛として立っていて、隙がなく、美しい。もろもろの情をからめて歌い上げる手立てなしの風情なのかも知れません。実の所は、観賞用に薬用に、食用にもと、多用、有用なのですが。桔梗の名は襲かさね装束の色目の名。表は二襲ふたあい、裏は青です。桔梗は紋所の名にも使われ、近世若衆流行の桔梗笠や桔梗皿もあります。
○酒樽にききょうかるかや菱かいて 魚淵
○ききょうの花咲く時ぽんと言ひさうな 加賀千代
○山霧にぬれて色濃き桔梗かな 村上鬼城