古典会だより-竹-

201612_1竹は熱帯アジアのモンス-ン地帯に豊富で、竹の字は勢い盛んで、どんどん高く伸びる姿の象形文字であり、川玉草かわたまぐさ、千尋草ちひろぐさ、小枝草さえだぐさ、或いは此君しくん、君子、抱節君ほうせつくんとも言われ、常緑で色変えず、節ふしの正しい成長ぶりから松・梅ともに新年のめでたい飾り物とされます。

『古事記』には「纏向まきむくの日代ひしろの宮は、多気たけの根の根垂る宮」とあり、『風土記』では「常陸国」に「竹・箭やだけ」、「松と竹と垣の外をまもり」と記し、「出雲国」及び「播磨国」に「小竹しの」とあり、「肥前国」に「なよたけ」とあり、「因幡国」の白兎は竹林に住み洪水で竹の根につかまり隠岐の島まで流され、ワニと大国主命が出てくる話があり、「薩摩国」では皇祖ニニギの命は竹屋林に住みし時、竹を刀に作り、二人の男子出産の時へその緒を切られたとあり、『万葉集』にも「梅の花散らまく惜しみわが園の多気の林に鶯鳴くも」の歌があり、『竹取物語』には竹取の翁が「野山にまじりて竹をとりつつよろづの事に使ひけり」とあり、『延喜式』にも竹で箸を作ったとあり、上代から日本人の生活と実に密接な関係を持っていました。

茎は地下茎より直立し、高さ一〇㍍から、三〇㍍、径三〇㎝近くもなり、中空で一定の間隔で節をなし、竹の皮が左右交互に一枚ずつ、ちょうど着物を着たようについて幼い茎を保護しています。地下茎が強いので崖斜面の保護林護岸用になり、景観良き故、庭園となり盆栽にもされます。

モウソウ竹、マダケ、ネマガリ竹などの筍は食用になり、竹の皮は下駄表、ぞうり、包物としておにぎりや、寿司、あるいは梅干をはさんでしゃぶったりします。茎を叩いて火縄にしたり、細かく割ってひもに、竹紙や竹炭を作ったり、青竹を輪切りにして煮物や盛りつけに使います。 葉のササは芳香・殺菌効果あり、寿司・刺身の添え物にしたり、ちまきやアンを包んで笹餅・笹ダンゴになり、馬の飼料、さらにクマザサは薬用にもなります。

日本産竹材としては、マダケ、モウソウ竹、ハチク、クロチク、ヤダケ、メダケなどがあり、マダケは材質強く弾力性に富み割り裂きしやすく、建築材、楽器(笛・尺八・笙)、花籠、その他工芸品、海苔・牡蠣養殖用、農機具、竹箒、傘、竹串などに使われ、エジソンが白熱灯のフィラメントに使ったのは有名、杖や印材にも使われます。モウソウ竹は筍を第一とし、丸竹床柱、竹縁、花いけ筒に使われます。ハチクは粘り強く緻密で、節が低く竹材中最も細裂きに適し、ちょうちんのひご、うちわ、すだれ、茶筅に作られます。クロチクは表皮光沢美しく、弾力性に富み、室内装飾、工芸用に利用され、釣竿は代表です。ヤダケは古来矢に使われ、筆軸・うちわ・すのこ・釣竿などに、メダケも同様に使われます。

竹を割ったようなは、さっぱりして、わだかまりがなく、陰険さや曲がったところがない意で、竹馬の友は共に竹馬に乗って遊んだ幼なじみの友達、竹鉄炮・竹トンボ・竹独楽、竹光竹刀を振り回し、竹下駄、竹皮ぞうりはき、竹竿持ち、雨には竹の唐傘さし、書物巻物竹帙綴とじ、竹筆で字書き、竹格子の竹縁に竹筵むしろ敷き、竹籠おろし、竹杖立てて竹笠置き、竹の樋で素麺の竹流し、竹楊枝使い竹のキセルで一休み。

法隆寺に伝わった竹厨子は有名ですが、実は同寺の百済観音や中宮寺弥勒菩薩の各光背の支柱に精巧なモウソウ竹が彫られているのは意外と知られていません。中国江南仏教との直接の関わりが感じられます。

201612_2茶も平安初期に唐から伝来しましたが、日本独自の発展を遂げました。茶の湯がそれで、唐物籠を賞でつつも、侘び茶人は一重切、二重切花生けや、茶杓・柄杓といった日本的竹道具を発達させました。「利休百首」に「水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝柄杓と心あたらしきよし」とあります。茶筅は一五世紀後半、村田珠光と高山宗砌が考案したとされ、以来五〇〇年、今に至るまで奈良県北西部生駒市高山で製造されています。茶葉を石臼でひき、粉末にした日本独自の抹茶は湯茶で全部飲み、ビタミンC多く、実に有益です。茶筅で細かく泡立てます。高山で茶筅製作の久保圭造師によると、近隣の生駒山系の土質は、砂が七割、残りは石で養分少なく、風通し良く、水分少なく、粘り強く最適のハチクに恵まれているが故とか。初冬に切った竹を熱湯で油抜きし、一カ月ほど外で干しますが、これを寒干しといい、倉庫で数年寝かしてから割り、細長い穂にし、お湯で温め穂先を百分の五ミリまで削りこみます。熟練の作業です。

近来安価な中国産、韓国産のものが、そっくりの容器でデパ-トでも売られていますが、点てやすさ、泡立ちがはっきり違います。何故か。使い込み、工夫を加えて伝統的に作り上げて来たものと、みた目外観似せているだけで実は使ったことのないものとの差であり、道具の竹一つが営々としたなりわいと環境維持につながるのです。