慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その22-

○十一月二十六日、夜、人みな睡むらず。本国(日本国)の正月庚申待ちの夜①と同じである。
○十一月二十七日、冬至の節、道俗(出家も在俗も)おのおの礼賀を致す。住俗のものは官を拝して冬至の節を祝う。相公李徳裕にまみえてすなわちいう、「晨運推移②し、日は南に長く至る。伏しておもんみるに相公の尊体に万福あるように」と。貴賎の官品ならびに百姓ら皆あい見えて拝賀す。出家のものもあい見えて拝賀し、口々に冬至の辞をのべ、たがいにあい礼拝す。俗人は寺に入りまたこの礼あり。衆僧は外国僧(円仁ら日本人僧)にたいしてすなわちいう、「今日は冬至の節なり。お和尚さまに万福があるように。伝燈の絶えたもうことなく、早く本国に帰られて、長く国師となり給えよ。云云」と。おのおのあい礼拝し、おわりてさらに、厳寒のこと(寒さにお気を付けなさい)をいう。ある僧来たりていうに、「冬至、お和尚さまに万福があるように。学は三学③にかがや(光)き、早く本国に帰りて、常に国師となり給えよ。云云」と。多種の語あり。この節はすべて本国(日本国)の正月元旦の節と同じなり。俗家寺家、おのおの希膳をもうけて百味すべて集まる。前人の楽しむところに従って、皆賀節のことばあり。道俗同じく三日をもつて期となして冬至節を祝う。この寺家(揚州開元寺)もまた三日の供を設け、くさぐさのもの総て集まる。
○十一月二十八日、雪ふりぬ。

【語句説明】
①庚申待ちの夜・・・十一月二十六日は冬至の前日、夜通し眠らない。日本国の正月の庚申待ちの夜のようだ。ただ、この庚申待ちの習も中国・唐から伝わった風習であるが、その夜眠ると、人身中にいる三尸のが罪を上帝に告げるとも、命を縮めるともいう。中国道教に由来する習であるが、『続日本紀』聖武天皇の神亀元年(724)十一月庚申(四日)に宮中で賜宴があったと見える。平安時代に盛んになり、鎌倉室町期には仏家では帝釈天、神道家では猿田彦を祀って寝ないで徹夜する習となった。②晨運推移・・・小野勝年氏に従って晨字を補う。晨は日景、太陽の推移を計る器械であるが、冬至は日景が最短、太陽の昼が一番短い日である。

【研究】
揚州開元寺滞在中の慈覚大師円仁は冬至の前日の十一月二十六日、庚申待ちの夜のような不眠徹夜の習を経験する。翌日二十七日の冬至は節句として賑やかな年中行事がある。外国僧である円仁ら日本人僧に中国側から種々激励いたわりの言葉が交わされる。ついでに寒さに向かう折り御身大切にと。実際、翌十一月二十八日には雪が降った。