慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その30-

○正月十八日、暁に薬粥①を供養し、斎時にはすなわち飯食を供した。百種、味を尽くす。視聴の男女、昼夜を論ぜず、会集多数なり。兼ねて堂頭②において、斎(食)を設け僧に供せり。夜に入り、さらに灯を点じて供養し、兼ねて梵讃③を以てす。
計二日二夜、また大官・軍中併せて寺裏の僧、並びに今日をもって、みなみな米を揀ぶに、日数を限らず。揚州役所より米を運び、諸寺に分付せり。衆の多少に随い、斛数定まらず。十斛二十斛のみ。寺の倉庫係りが領受して、さらに衆僧に与う。或いは一斗或いは一斗五升、衆僧これを得、好悪を揀択せり。破なるものを悪となし、破れざるものを好となす。もし一斗の米を得れば分って二分とし、その好きはわずかに六升を得るのみ。しかして好悪、袋を異にし、官裏に還納す。諸寺また此式に同じく、或いは各々好悪を揀択し、みな官裏に返納す。二色の米を得④れば、好きものは天子に進奉し、もって御飯に宛つ。悪なるものは留め官裏に納む。但し官人・軍中併せて寺裏の僧に分付して、百姓⑤には致さず。そもそも州が粟米を揀ぶはさらに選択し難し。揚州の択米、米の質色極めて悪し。稲粒はすべて破損の粒を択び却けて、ただ健好のみを取る。自余の諸州はかくの如くにあらず。聞くならく、相公(節度使李徳裕)は五石を揀ぶに、監軍門⑥もこれに同じくす。郎中は二石、郞官は一石、軍中・師僧⑦は一斗五升、或いは一斗。また相公は、近ごろ、潤州(鎮江府)の鶴林寺⑧律大徳光義を屈来して、しばらく恵照寺⑨に置いた。相公が擬すにこの僧をもって、当州の僧正となし、便ちこの開元寺に住職ならしめんとした。それ僧正は揚州都督府諸寺の事ならびに僧等を検領す。凡そこの唐国は僧録・僧正・監寺の三種色⑩あり。僧録は天下の諸寺を統領し、仏法を整理す。僧正はただ一都督管内に在り、監寺は限るに一寺に在るのみ。自外は方(まさ)に三綱ならびに庫司らが有るのみ。暮れ際、僧正は当寺に住した。

【語句説明】①薬粥・・・夜明け前の暁に粥をとり、斎時に飯食をとるのは律に定める。暁の粥は薬となる。②堂頭・・・食堂を指す唐の寺院用語。③梵讃・・・梵語の讃とも梵唄の讃ともいう。④二色の米を得・・・原文は得来であるが、来は米の誤りとした。⑤百姓・・・中国で百姓は必ずしも農民ではない。一般の普通身分の者。有姓者である。⑥監軍門・・・監軍門は監軍院のこと、ここは監軍使という官職の武人。⑦師僧・・・上座、座主、僧綱など幹部僧侶。⑧潤州(鎮江府)の鶴林寺・・・長江南岸の大運河沿いの江蘇省鎮江にある名刹。金山寺と並ぶ有名寺院。⑨恵照寺・・・揚州の寺院だが詳細は不詳。⑩三種色・・・三綱のこと、古代の日本では上座・寺主・都維那の三僧職をいう。

【研究】
揚州開元寺滞在中、正月十八日の夜明け前の暁の薬粥食事から、斎時飯食など、百種、味を尽くすという。ただ、以下に配給になる米が好悪二種に分けられ、好は唐都長安の皇帝の食事に献上、悪が地方の飯米にされるなど、唐の財政事情の具体が分かり、興味深い。また地方の仏教僧侶の統制役に当たる上座僧侶に、僧正の職を節度使が与えるというのも注目してよい。