古典会だより-お彼岸(ひがん)-

日本は春夏秋冬、四季の移り変わりに恵まれ、それぞれの季節のはじまり、真っ盛り、終わりを大切に考えてきました。小寒・大寒・節分・立春・雨水・啓蟄・春分・穀雨・立夏・芒種・入梅・夏至・小暑・大暑・立秋・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至などの言葉があります。各季節の順当なめぐりを願って、立春・立夏・立秋・立冬の前の18日間は土用と言いますが、夏の土用が代表です。
太古、地球が出来て以来、地球の中心軸、地軸は23・5度南北に傾いており、自転(自分でまわる)して、昼夜を生じ、一年かけて太陽のまわりをまわり(公転)ます。日本は北半球のちょうど適度の緯度の位置で、春・夏・秋・冬の恵みにあずかっているのです。23・5度の傾きがあるため、春と秋に2回太陽と地球が真横の位置になり、その時日本では北と南に多少のズレはあるものの、日は真東から昇り、真西に沈み、しかも昼と夜の長さが同じになる、その日が春分・秋分で、古典での旧暦二月・八月、今の三月・九月です。三月二十一日ころの春分、九月二十三日ころの秋分の日の前後三日間の七日間を彼岸と言い、初日を入り、春分・秋分の日はお中日(ちゅうにち)、最後の日は明けと言われます。春分は、冬至から太陽が少しずつ勢いを増して来て、夜と昼の長さ、寒暖の差が変転する分岐点であり、秋分は、夏至から猛威を奮った太陽が勢いを弱め、昼と夜の長さ、暑さ寒さの節目と考えられ、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われます。時には「なに事ぞ彼岸過ぎてのこの暑さ(或いは寒さ)」もありますが。
本来彼岸は仏教用語です。日本に仏教が伝わったのは『日本書紀』によると552年とされますが、それ以前から仏教思想は入って来ていました。3世紀魏の皇帝から邪馬台国女王卑弥呼に与えられたという三角縁神獣鏡に仏像が彫られているとか。2008年、兵庫県神戸市塩田北山東古墳出土の「三角縁一仏三神四獣鏡」は3世紀のものです。さらに最新の考古学では、一万五千年前にはじまる縄文時代より古い旧石器時代ころから日本では葬送埋葬の遺跡があり、死者を丁寧に葬り、その後も共に生きて来ました。
人が生死に苦しみ、悩み、迷う現実のこの世を此岸しがん、そこを超越し、仏のさとりの世界を彼岸と考え、到彼岸(波羅蜜多はらみった)を願う時季として、春秋二期をとり、仏教思想にふれ、先祖や、亡き人への思いをいたし、日常への反省や新たな生への力を得て来たのかもしれません。
『続日本紀』淳仁天皇天平宝字二年(758)八月十八日の詔勅に、「摩訶般若波羅蜜多は、諸仏の母なり。四句の偈などを受持し読誦すれば、福寿を得ること思量すべからず。これをもって天子念ずれば、兵革・災難、国内に入らず、庶人念ずれば、疾疫・邪気、家中に入らず。惑を断ち、祥を獲ること、これに過ぎたるはなし。宜しく天下諸国に告げ、男女老少を論ずることなく、口にしずかに般若波羅蜜多を念ずべし」とあります。四句の偈とは『平家物語』冒頭にも引かれる「諸行無常」に通じて諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽、ものみなすべて無常、たえず流転する、是れ生滅の法なり、生滅滅しおわりて、寂滅を楽とすと言い、古来いろは歌として知られる、「色は匂へど、散りぬるを、我が世誰ぞ、常ならむ、有為の奥山、今日越えて、浅き夢見じ、酔ひもせず」に通じるとか。弘法大師は、『摩訶般若波羅蜜多心経』(いわゆる般若心経)を、「文は一紙に欠け、行は即ち十四、謂うべし、簡にして要、約にして深し」と説きます。般若心経は、字数にして266文字、一番短いお経です。一度終わっても再びまた始められて続きます。生ある限り悟りは次の迷いにつながり、止まらず、新たな悟りに到るのでしょう。それが色即是空、空即是色かもしれません。
最新の物理学では、すべての物質には反物質があると言います。姿形(すがたかたち)は物質と同じなのに、一部の性質が正反対の存在を反物質と言い、物質が反物質と出会うとエネルギ-を放って互いに消滅してしまうというのです。1928年以来の研究の成果で今では病気の検査にも使われているとか。物質と反物質が、般若心経の色即是空、空即是色
を想い起こします。
『類聚三代格』延暦二十五年(806)三月の太政官符に「五畿七道諸国は金剛般若経を転読すべし・・・宜しく国分の僧をして春秋の二仲に、日別に七日、心を存して、これを奉読すべし」とあり、これが彼岸会の起源とされ、お彼岸は平安時代以降仏事を行って嘉節とされました。奈良県金峯山出土「藤原道長経筒願文」に「百日潔斎し、寛弘四年(1007)秋八月を以て金峯山に上り、妙法蓮華経一部八巻、(中略)阿弥陀経一巻、(中略)般若心経一巻、金峯山に埋む」とあり、『源氏物語』行幸には、
「十六日ひがんのはじめにて、いとよき日なりけり」とあります。
彼岸の入り、中日、明けには、野菜・汁物の他に桜めし(秋は紅葉モミジめし)をお供えします。といだお米は水一目盛少なくし、火にかける間際に酒と醤油を好みでまわし、炊き上ったらさっくり混ぜ合わせると、醤油がほんわり心地良く香ります。ボタモチ・オハギの彼岸餅はもち米をやや少なめの水加減で炊いて丸め、小豆餡や大豆のきな粉、ゴマなどをまぶしてお供えし、おさがりをいただきます。
古来、日本人は神仏にお供えしたものを、下され物として、「おさがり」と言っていただいて来ました。いったんは、まずは差し上げ、それをいただいて、共に食するよろこびがあるのです。お盆の時と同じく、親や身内だけでなく、無縁の人にもお供えの思いを届ける。そのことで亡き人と共に今を生きる、それが伝統的なお彼岸の智恵だと思うのです。