釈迦如来、お釈迦さまの話-その18-

仏像 ここでお釈迦さまを礼拝のために彫刻に彫り、絵画に描いた仏像について話します。仏像には広狭の用法があり、ふつうには仏陀像を指しますが、広い意味では仏教の諸尊像をすべて包含します。両者とも本来は彫像・絵像の別を問いませんが、一般には彫像のみについて仏像といい、これに対して絵像の場合を仏画と称して区別します。仏陀像は元来仏教の開祖である釈迦牟尼の像に限られていましたが、仏教の教え、仏教思想の深化とともに釈尊の悟りの由来や情況を説明するために過去仏や十方仏,その他の種々の仏陀、如来を出現させ、彫像に彫りました。

釈迦の説法の姿 ただここで注意しなければならないことは、仏像は礼拝の対象として当初から存在したのでなく、無仏像の時代は釈迦の死後500年近くも続きます。釈迦を人格的にも最高の理想と考えるインド系の人びとは仏伝図においても主役の仏陀を描くことは絶対に許されません。仏像起源は普通西北インド、パキスタン北西部のガンダ-ラ地方で紀元後100年くらい経た時期に仏教を受容したギリシア系民族の間から、ギリシア彫刻の影響を受けて仏像が作られたとされます。釈迦が母親マヤ夫人の胎内に身ごまれ誕生、さらに成人して出家し、さまざまな苦行や瞑想を経た上に、菩提樹の下で静かに深く思索して「人生は苦なり」の課題に解決方法を発見し、さとりを開かれ、以後そのさとりの内容を人びとに伝えるために80歳の生涯で説法布教活動に努力した過程が連続的視覚的場面に彫刻されました。さとりを得る過程の前期では坐禅を結び、食事の制限を行い、ガリガリに痩せ肋骨がむき出しになった苦行の釈迦の彫刻があります。難行苦行、坐禅瞑想、ヨガ修法一切無駄でしたという彫刻です。ではさとりの瞬間の釈迦像は存在するかと言えばそれこそ釈尊の教えの伝統は拒否します。どうしたら釈尊は悟りを開かれたかは造形できないのです。ガンダ-ラ式仏像では転法輪印を結び、人びとに布教する像は左手で衣の端を掴み右手は施無畏印を結んで立っている像が多いのです。それがやがて5世紀までの間に右手は施無畏印、左手は与願印を結ぶ像になります。説法の姿であることは明らかです。それにガンダ-ラ式仏像は彫りの深い、鼻高、横長の目など西方的な顔容、カ―ルした波打つ長髪、特有の衣という特色が窺えます。頭は髪を髷にしてしているようです。それに対してガンダ-ラ式仏像とは別に2世紀のインド北部のマトゥラ―式彫刻ができました。マトゥラ―式はさとりを開き、成道した喜びを顔面いっぱいというより体中で表現しようとした仏像です。釈迦像はインド的顔立ち、頭髪はちぢれた螺髪(らほつ)形です。それでも目は大きく開き、転法輪印を結んで説法している像です。釈尊が自分のさとりをいかに人びとに説いたかが大問題なのです。