釈迦如来、お釈迦さまの話-その21-

仏像の地域的偏差 これまでも述べましたが仏像は紀元前後の時代に、西北インドからアフガニスタン地方に居たギリシャ人植民の人々の間で、お釈迦さまの生涯や様々な伝説を彫刻に造形したガンダーラ仏が最初の仏像でしたが、釈迦のさとりを開く伝承を忠実に造形化して、苦行に打ち込む釈迦、思索する釈迦、菩提樹の下で悟りを開き、それを人々に説法する釈迦などが極めて写実的に作られました。それに対してインド北部のマトゥラーではガンダーラ仏の制作とほぼ同じ時期にガンダーラ仏とは全く異なる表現で造像された釈迦仏が出現しました。その特徴はまず悟りを開いた喜びを全身で表そうとする釈迦の像で、目を閉じた、或いは半眼にして難しい顔をするガンダーラ仏とは全く反対に、両目をぱっちり開き、満面に笑みを浮かべた歓喜の表情のお釈迦様がマトゥラー仏の特徴です。しかも、ガンダーラ仏が紀元1~2世紀に中央アジア・西域地方を経て後漢時代の中国に伝播するのとほぼ同時期に、チベットを経て、四川地方の中国に到着しています。
仏像の共通性 ガンダーラ仏でもマトゥラー仏でも二つの地域の仏教徒は互いに交流し、影響することもあります。また釈迦仏から仏像の造形が展開発展した過去仏や大乗の諸仏、薬師仏、阿弥陀仏の像が出現するようになると、悟りを開いた如来の前段階、つまり修行中の各時期の釈迦の前身が考えられ、さらに釈迦以外の衆生、多くの生き物の仏への道の姿が考察されました。仏の一つ手前は菩薩、その下は縁覚(独覚)、その下は声聞、羅漢たちです。菩薩はまたその固有な修行のあり方が造形されました。衆生の全てが成仏するまで自分は仏には成らないと誓願した観音菩薩は、衆生の成仏を示す蕾の蓮華を手に持ち、頭の前部に阿弥陀如来の化仏を置きます。阿弥陀三尊の観音菩薩の同僚、というより兄弟の勢至菩薩は合掌しています。観音菩薩は思惟の姿の如意輪観音、自己に加え頭に十方を向く十一面観音、手が千本有る千手観音、馬の頭を付け憤怒像の馬頭観音、その他種々の観音像が早い時期に各地で制作されました。釈迦滅後の未来の仏陀である弥勒もはじめは菩薩像で水甁を持ちます。それが仏滅後五十六億七千万年後に第二の釈迦として龍樹下で悟りを開き弥勒仏となると、禅定の姿で定印を結んでいます。こうした仏像の表現する意味は地域を越え各地で共通性を示しているのです。