前六、五世紀のお釈迦さまの時代、インドの風習で子が生まれるとその子の運命を占相師に見て貰うことがありました。これは仏教が広まった国ぐにでは誕生お宮参りの風習となったようです。お釈迦さまは子供のころより優れた資質を持っていたことも事実のようです。
誕生したお釈迦さまはさっそく奇跡を現しました。七歩歩いて「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」という言葉を言ったということです。二本足で歩くこと、物を言うことは、全生物の内で人間だけの能力です。でも生まれてすぐというのはありません。それがお釈迦さまは特別だったのです。大体、インドでは古代から現代まで生き物の輪廻転生ということを信じ、自分の前世を考えます。お釈迦さまは前世も仏であったという考えが興ります。それにどんな生き物も仏さまから定められた使命がある。それは衆生、生き物の苦しみや悩みを何とかして解決しよう、救おうという使命です。
『経律異相』というお経に、この地球を南閻浮提(なんえんぶだい、南閻浮州ともいいます)の四方にある海島の上に十二獣が住んでいます。十二獣は、鼠・牛・獅子(虎)・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・狗・猪です。みな衆生済度のために動物に姿を変えた菩薩の化現で、十二月中常に一獣ずつ人間・天上界の中を経巡り、衆生を教化するというのです。これは中国の十二支に似ていますが、中国の十二支はまちがいなく古代インドの十二獣の考え方が伝来したものです。大体古代中国には十二を単位とする考え方はありません。
十二を単位とする考えは西アジアのメソポタミア地方、古代バビロニア文明に始まると言われます。一年を十二カ月にすること、一日を十二刻(一刻2時間)などです。西アジアから古代インドに伝わり、仏教の中に種々の十二が数えられました。前回のこの仏さまの話で取り上げた薬師如来の十二神将などもその一つです。
お釈迦さまの父国王は我が子が転輪聖王(てんりんじょうおう)、すなわち全世界を統一する支配者になることを夢見ました。そのため当時のあらゆる学問や武芸を修得させましたが、お釈迦さまは生来沈思的黙想的な性格であり、深い思索にふけることを好みました。父国王は彼の心を引き立てるために、寒暑雨の三季節のために別々の宮殿を建てたり、歌舞音楽で楽しませようとしたり、やがて成人したお釈迦さまに美しいヤショ-ダラ-姫を妃に迎えたりしました。お釈迦さまもそれでよき家庭人になり、少しは心の慰めもできました。それでもお釈迦さまにはどうしても心の晴れない大問題が残っていました。
以下次号