釈迦の教え、仏教の合理主義 釈尊は人間平等の主義を唱え、これが仏教の特徴になりますが、もう一つの大きな特徴は、それが合理的であること、合理主義というべき教えなのです。
釈迦がみずから発見した縁起説は、宇宙人生の永遠の真理ですが、それまで誰も気がつかなかった教えだと自認していました。ただそれをもって自らが新しい宗教をはじめるという意識はなく、むしろ昔からの正統バラモン教を真に復活させるものだと考えました。そこで釈迦の教えには正統バラモン教的ことば、用語がよく出てきます。ただ注意したいのは釈迦は正統バラモン教が当時陥っていた迷信や悪因襲、さらに誤った修行方法などを徹底的に排除し、改革しようとする立場に立っていたことです。そのため釈迦の教えは正統バラモン僧のそれとはきっぱり断絶し、新しい教えや修行方法となっていました。坐禅・瞑想でさとりが開けるというのが釈迦の教えでは誤っているとされるのです。何も考えない、無念無想でさとりがひらけるのではありません。釈迦の教えが、理論の面においても、実践修道の面においても、それまでの不合理や迷信を排して、合理的であった点に注目する必要があります。不合理かつ因襲的な難行苦行を否定した点に特に注意したいのです。今日の日本でも見られる死と隣り合わせの行など釈尊が認めるわけはありません。釈迦の合理主義は人間の尊厳を基盤にした人間主義、人道主義であり、その合理性は今日からみても、近代性を帯びているとさえいうことができます。仏教が世界宗教、普遍的教えとして発展した大きな理由がここにあります。
仏教の教えの根本原理に八正道があります。八聖道とも言いますが、前者がより原初的です。その第一に正見、正しく考えるがあります。正しく考えるとはどういうことでしょう。物事をあくまで合理的に考える。考える根源は理性です。だから正見、正しく考えるは物事を理性的に追求して考えることです。近代哲学、近代歴史学、いな近代科学全般の思考方法、学問方法と全く同じ方法です。仏教は近代科学と全く矛盾しないのです。この点はさらに後に詳述します。今回はここまで。
以下次回