近年、考古学の発展はめざましく、沖縄県での約2万4000~1万6000年前の旧石器時代、或いは千葉県千葉市の特別史跡加曽利貝塚の縄文時代中期から晩期(約3000年前)の発掘遺跡などから、日本では可能な限り、死者を丁寧に葬り、その後も、共に生き続けてきました。七月は盆月とも言われ、旧暦では秋のはじめ、所によっては月遅れの八月です。盆と正月は一年を半ばして対峙します。正月は年のはじまり、初詣に願いをこめ、盆は年の後半に向けて、生者だけでなく亡くなった人をも含めて思いを致すのですが、歳暮・年始と中元・盆礼などが共通し、より良く生きんとする願いでしょう。お盆について文献では、中国梁武帝が盂蘭盆斎を設け、初唐より盛行とか。日本では西暦720年編纂の『日本書紀』に、推古天皇14年(606)に「是年より初めて寺毎に、四月の八日、七月十五日に設斎す」とあり、七月十五日は盂蘭盆会うらぼんえの始まりとされます。また『日本書紀』斉明天皇3年(657)には「群臣に詔して京内の諸寺に盂蘭盆経を勧請(とか)しめて、七世の父母に報いしむ」とあります。人一人今生きてあるのを考えるに、兄弟姉妹は入れず、両親そのまた両親と直系だけを数え、七世代までおよそ200年までとして、その間に少なくとも254人の生命がかかわって来ています。更にはその人たちにゆかりの人達も有縁無縁の霊位と考え、過去、現在、未来、つまり先祖、自分、子孫の三界万霊にまで思いをいたし供養をする。ついては生命の源たる飲食不能に苦しむ餓鬼に施しを行う施餓鬼会になりました。
奈良時代になって聖武天皇は「天平五年(733)七月十五日、初めて大膳職をして盂蘭盆の供養を修せしむ」とあります。諸寺の盂蘭盆会の供物の調達は出来るだけ良いものをと考えて、はじめて宮廷の食膳担当の大膳職に行わせたというのです。
寺では施餓鬼壇を作り、竹で結界し、東に妙色身如来(阿閦如来)、南に宝勝如来(宝生如来)、中央に広博身如来(大日如来)、西に甘露王如来(阿弥陀如来)、北に離怖畏如来(釈迦如来)の五仏をまつります。仏と仏の教え(法)、それを説く僧の三宝に、両親や先祖、餓鬼、有縁無縁相俟っての法会でしょう。
慈覚大師円仁『入唐求法巡礼行記』開成5年(840)7月15日には「度脱寺に入り、めぐりて盂蘭盆会を礼し」とあるのが注目されます。『日本書紀』天武天皇14年(685)3月27日の詔に「諸国の家毎に仏舎をつくりて、仏像および経を置き、礼拝供養せよ」とあり、次の奈良時代聖武天皇の天平13年(741)諸国国分寺建立の詔勅から東大寺大仏開眼(752年)と続きます。ただし、日本では盂蘭盆経に説く目連尊者と母の話よりも、先祖たる七世の父母と現在の父母、或いは身近の親しかった亡き人たちへの思いが当然ながら広く受容され、お盆は各家の仏壇とお墓、寺が、亡き人をしのぶよすがとなって来ました。
平安時代11世紀中頃『今昔物語』に「今は昔、七月十五日の盆の日、極めて貧しかりける女の、親のために食を供るに耐えずして、一つ着たりける薄色の綾の衣の表を解きて盆に入れて、蓮の葉を上に覆うて、愛宕の寺に持ち参りて、伏して拝みて泣きて去りにけり。その後、人あやしむで寄りてこれを見れば、蓮の葉にかく書きたりけり。『奉る蓮の上に露ばかりこれをあはれにみよの仏に』。人びとこれを見て皆あはれがりけり」と。
江戸時代頃からお盆の入りは十三日で、魂(たま)迎えと言って夕刻より寺、墓地に行きます。天保9年(1838)『東都歳時記』注の『絵本江戸風俗往来』に「墓前に灯火を奉り、礼拝をなし、生けるを迎え参らすが如く、家々の家紋つきたる弓張提灯を点じて路上を照らしつつ迎へける。・・・町家は前もって家内を清め、武家と同じく魂棚を構え、・・・家族打ち揃い戸外に芋がらを積み、火を移すや鉦打ち鳴らし、称名を唱え、火焚き終るや霊魂を棚の許へ案内なす。式、実に信実に行う」と記します。供物は飯、米粉の団子、果物、野菜など。特に飯と団子は蓮の葉に盛ります。蓮の葉は表面に細毛がびっしり生えており、ひんやり冷たく天然の冷蔵です。十三日の迎えは夕方早めに、十六日の送りは名残り惜しんで遅めにの心づかいです。年に一度、有縁、無縁の霊を迎え入れ、共に生きて来たのが日本人のお盆さんの伝統的智慧でしょう。
○ふた親と二三日くらすお盆様 高木鬼三太
○うら盆や疎きぞわぶる友の墓 俳諧新類題発句集
○トマトを掌にみほとけの前に ちちははのまへに 種田山頭火
○数ならぬ身となおもひそ玉まつり 芭蕉
○あぢきなや蚊帳の裙ふむ魂祭り 蕪村
○おれが座もどこぞに頼む仏達 一茶
昭和58年(1983)拝島大師奥の院多宝塔落慶
○宝塔の瑪瑙の扉(とぼそ)を押し開き、分身仏ぞ集まりし 南無慈恵大師常住金剛尊
平成6年(1994)新本堂元三大師中堂落慶
○新しき大師御堂(みどう)の花開き会うもうれしき御開帳 南無慈恵大師常住金剛尊
令和元年(2019)5月26日、拝島大師五重塔入仏供養会
『梁塵秘抄』(1169年)法華経二十八品歌、分別功徳品
○法華経持(たも)たん人は皆 起きても臥しても此の品を 常に説き読み怠(おこた)らで 塔を建てつつ拝むべし
◇◇拝島大師本覚院施餓鬼会◇◇
七月十五日午前十一時
於本覚院客殿