釈迦如来、お釈迦さまの話-その3-

お釈迦さまが紀元前6,5世紀ごろ実在した人物であることは、19世紀末にお釈迦さまの生まれた北インドの小国カピラ国都城にほど近い地の同国領内にあるピプラワ-から発見された舎利(お釈迦さまの遺骨)を納めた壷の蓋(ふた)に書かれた古代インド文字の文章からも確認されています。この舎利の一部は現在日本にもわけられています。

お釈迦さまは生まれるとシッダ-ルタ、またはシッダッタ(悉達多)と名づけられましたが、その誕生後7日目に母后マヤ夫人は亡くなり、その後は母の妹のマハ-プラジャ-パティ-が養母として、彼を養育しました。

当時のインドの風習で子が生まれるとその子の運命を占相師に見て貰うことがありました。これは仏教が広まった国ぐにでは後になって誕生お宮参りの風習となったようです。さて占相師は、この子が常人とちがった多くの姿かたちをそなえているのを見て、この王子シッダ-ルタは家にあれば転輪聖王(てんりんしょうおう)、すなわち全世界統一する支配者になるであろうし、もし出家すれば全世界の人びとを救済する仏陀(ぶっだ)となるであろうと予言しました。児童の異相を見て将来の大成を預言することは拝島大師のお大師さま良源の子供の時も同様ですが、豊臣秀吉などにも言われます。お釈迦さまが子供のころより優れた資質を持っていたことも事実のようです。
お釈迦さまが誕生した時代は、古代インドマガダ国ら十六王国の時代と呼ばれる群雄割拠の時代で各国は生き残りをかけて権謀術策の政治抗争に明け暮れました。他方、人びとの精神的指導者は古代バラモン教の祭祀者神官であるバラモン正統婆羅門でしたが、形式化し形骸化して堕落していました。また社会はカ-スト制度が人びとに多大の弊害をもたらしてその改革、すなわちカ-スト制度の解体が望まれました。しかし、各国の王や貴族、またバラモンたちは旧来の権益にしがみつき、改革をこばみ続けました。お釈迦さまの相をみた占相師はその児童の将来に期待したのです。この占相師がお釈迦さまの相をみた場面は2、3世紀のガンダーラ彫刻にいくつも作られた有名な話です。

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