【漢字講座】秋(あき)

○秋は四季(四時)の一で、夏の後、冬の前です。漢字では秌とも書きます。二千年前の後漢時代の許慎『説文解字』という辞書には、「秌、禾穀の熟なり」とあります。古代中国の経済思想家で知られ、斉の桓公の春秋の覇者になることを助けた名宰相の管仲も著書『管子』四時に「その時を秋という」とあり、その注には「秋、時に物成熟し、これを収める」とあります。

禾穀の熟の禾とは秋の扁ですが、先の漢字辞書『説文解字』には、「禾、嘉穀なり。二月をもって始めて生じ、八月にして熟す。木に従いてその穂を象る」とあります。これは木は茎であり、その先に穂があります。つまり木の上に丿を載せると禾になります。丿は垂れた穂を表すところから、麦や粟ではなく、稲米だとされます。これも『説文解字』の説明です。以上から秋という字を総合的に考えますと、禾すなわち稲穂が垂れて成熟し、辺り一面が赤く燃えるような季節を秋というのです。古代中国思想の五行思想との関連を言いますと、五行(万物を造る五つの物質)では金、五方(東南西北と中央の方角)では西方、五色(青赤白黒黄)では白、また五音では商です。北原白秋という詩人の名は白色の秋という意味です。北原白秋は九州筑後柳川の人で日本の西部の人ですから、五色とともに五方も意味があります。秋はまた紅葉から枯葉が舞う時期で極めて詩情溢れた季節ですから詩人の名に秋がつくのは最適です。

○秋は穀物の成熟から、みのりの意味があります。人も誕生してから、初めは家庭で両親から食事その他の生活の方法、また言葉や文字など教えてもらい、やがて幼稚園・保育園・小学校に通って先生から、勉強、運動、その他いろいろなことを教えてもらい、それをよく学んで身に付けます。さらに、中学、高校と上級学校に進み、大学にまで進学して学問を修めます。そして社会に出て仕事職業に専念し、やがて結婚して家庭を作ります。子供をもうけて育児し、そして老後を迎えます。ここが人世の秋の部分です。人世のみのり、収穫成熟の部分と言ってもよいでしょう。子供は成長して一家を支えるようになります。昔は一家を支え、切り盛りすることを家督といいました。家督を子供に譲って隠居すると言います。隠居後は、地域の世話役や寺仕事でもしたり、好きな植木や盆栽、また俳句や水墨画の趣味に打ち込むことになります。悠々自適の文化生活となるのです。しかし、昔でも人によって引退隠居できず、自己の業(わざ)や仕事にますます精を出す人も居ました。葛飾北斎という江戸時代の画家は六〇歳過ぎてから富岳三十六景の超有名な連作の浮世絵を世に出しています。生涯現役の人も多かったのです。
○中には引退隠居しても実権を握って最後まで活躍する人も居ます。江戸幕府の創設者徳川家康は将軍になった慶長八年(1603)の二年後の同十年には将軍職を子の秀忠に譲って駿府(静岡)城に移り、大御所と呼ばれました。十年後に大坂冬の陣、夏の陣(元和元年、一六一五年)を指揮して勝利し、その翌年に死亡しています。その間大御所家康が日本の政治の実権を握っていたのです。それでも余暇有れば、好きな書物を集め、目を通して、また天海僧正や儒者林羅山を手許において政治と学問の相談相手とし、幕府政治の方針を固めたのです。それで戦乱に明け暮れた戦国時代は最終的に終息し、安定した近世社会が始まるのです。

○人世の秋はだから決して終わりを待つ年ではありません。人世の締めくくり、まとめの時期です。秋の次に冬が来て、霜が降ります。秋から冬へ一年、また一年、星霜を重ねるとは年老いることを言います。さて、そうしている内に人世の終わりとなります。でもそれがなかなか来ないようになることも人世の最後の願いです。ただ自分の力だけで長生きできるわけではありません。寿命とは天命によって命の長さが定まっていること。それがいつ終わるかは自分では分からないのです。千秋万歳という言葉があります。万民の寿命が千年の秋を重ね、天皇の寿命は万歳であるようにという意味です。この場合、千秋の秋は年の意味です、年歳、歳月とも言えましょう。しかし、永く生きるといろいろ愁いのことも多くなります。秋の心と書いて愁の字になります。でも秋の一字でも愁の意味があり、「うれうる」と読みます。関連した語句を集めてみましょう。秋思という語は秋のころのものおもい、秋のものさびしい心もちを言います。中国の古人の語に秋士悲(秋には士、かなしむ)とあり、秋は立派な成人男子にも悲しみが多いとあります。秋雨も秋雨が降るともの悲しくなるのです。秋雲も遠くに見える秋の雲を見ると寂しくなります。秋寒は秋の寒さ、秋の冷気は意外に厳しいものです。風邪をひかないように。さびしいことばかりではありません。秋宴は秋の収穫の感謝の祭祀、一年の収穫を喜び、また来年頑張ろうと気持ちを新たにするのです。