【漢字講座】花(はな)再論

△一年前に「花といえば桜」が日本の常識としましたので、漢字の花の説明をしました。ところが最近、4月9日、日経新聞日曜版文化欄の遊遊漢字学で「華から花への定着」と題してある漢字学者の記事が載りました。大体は本欄の趣旨と同じですが、日経新聞記事には不十分な点、あるいは説明が誤りと言える点があるのでそれを指摘します。ただ前回の漢字講座の説明にも誤解を与える点が日経新聞の記事に指摘されているので併せて記します。

△日経新聞では華の本字はその下の部分が非常に複雑な字で、それで華と同じ音の化いう字に替えて花としたとします。それで「華から花へ」と説明するのですが、花には難しい本字があってその略字形になったことを見落としています。ただ花と華とは共通する本字があると考えることはできるかもしれません、でも花が華の略字ということは根拠が明確ではありません。中華民国、中華人民共和国の中華国は花のように美しい国という意味です。中華は略して華、中国人のことを華人、海外中国人同胞を華僑というのはご存知でしょう。△それでも華と花は別字です。華人を花人、華僑を花僑と呼んだら当人たちは首を傾げるか、バカにするなと怒るでしょう。だから華という漢字が花という漢字に変化したように説明するのは誤りです。

△前回の本漢字講座で、漢字「花」は造化の象徴と言える漢字であり、早くから、代用の花という字が「はな」になったとしました。花は草木の華なりとされます。花の字は艸・草冠に化と書きます。くさ草から化生したもの、それが花です。花の本字は非常に複雑な字で、いかにも花の造化の象徴と言える漢字でした。

△花という漢字は華と同音(古くは「か」、現在は「フォワ」)ですので、花・華の漢字は音が共通するだけで互換されたというのが日経漢字学者の主張です。これを本漢字講座では、化という漢字の意味も花という漢字を考える要素になるとしたのです。

△化とはどういうことでしょう。「化ける」「大化け」という言葉に関係するとしましたが、これについては日経漢字学者は何も根拠がないと、全く無視します。

△株価が大化けするとは、高騰する意味です。ダメな人が化けると言えば、えらく成績の良い、有能な人物になることです。でも昔話では狐が化ける、狸が化けるがよく出てきます。それに猫が化ける、化け猫の話しは怖い怪談です。でもそれだけが化の意味ではありません。

△化には文化という用語が重要です。何万年前から続く日本列島の文明には文字が生まれませんでした。また銅や鉄の金属も利用されず、また都市と都市文明も生まれませんでした。1万5千年以上も前の縄文文化は世界の新石器文明と比べて、生産や流通などでは十分に高度な文明なのですが、文字・金属の使用がないことが新石器時代の標準からずれています。日本列島に文字が入ってくるのは約2千年前で中国の漢字が入ってきました。その他法律・政治制度や都市制度など諸文化が中国からもたらされました。これは日本だけではありません。朝鮮・韓国やベトナムなども同様です。こうした国々は中国からその高い文明を取り入れて自国の文化を高めました。逆に中国は周辺諸国を文化水準の低い野蛮と見なしたのです。そこで周辺諸国は中国の高い文化を慕って外交使節を派遣してきます。これを慕化といいます。邪馬台国倭国女王卑弥呼が魏王朝に使節を派遣したことはご存知でしょう。

△魏王朝の時の中国はほかに蜀、呉がそれぞれ自分の領域を持って三王朝が対立していました。しかも従来の中国伝統の漢文化だけでなく、西方からインド文化の仏教などが入ってきていました。インドの言葉(サンスクリット語)が中国語(漢語)に翻訳されましたが、そこでそれまで中国になかった漢字、例えば佛・梵・僧などが作られました。19世紀の清朝の学者段玉裁は花という漢字は5世紀の中国南北朝時代の北魏王朝に始まると考えました。必ずしも典拠は明瞭でありません。同王朝で作られた石窟寺院、磨崖仏に彫った漢字で華という字が花という字に替えられたと考える人もいますが、それは正しくありません。華が花となったという磨崖仏などの用例はあまり多くないのです。

△それよりも漢訳経典を書写した中に、法華経を法花経、華厳経を花厳経とすることがあります。華を花としても意味はますます分かり易くなるという点があるのです。そうした仏教文化が日本に6・7世紀にとうとうと入ってきたのです。

△中国でも4、5世紀から文学作品に花が多く登場しますが、7世紀初頭の唐王朝の時代には花は独自な文化表現の文字となりました。

△日本で花と言えば桜ですが、奈良時代以前では梅の可能性があります。梅は遣唐使が中国から持参したとされる中国伝来の文化です。

△中国で花と言えば古くは桃でしたが、唐王朝では花と言えば国姓に因む李(すもも)の花になり、則天武后の時代には彼女が好んだ牡丹に替わったことが欧陽脩『洛陽牡丹記』花品序)に見えます。また北宋時代には花は海棠の称とも言います(『鶴林玉露』人、花)。

花の漢字は中々文化的なのでまだまだ沢山述べたいことが有りますが、今回はここまで。