古典会だより お薬師さま

日本では仏教伝来間もない飛鳥時代を代表する法隆寺金堂の十号壁画に、薬師浄土が描かれています。薬師如来が左に日光菩薩、右に月光菩薩を伴う薬師三尊です。東方薬師瑠璃光浄土とされ、瑠璃光の瑠璃はガラスに似た宝石ですが、一説にはダイヤモンドだとも言い、光の最上を言います。朝、東から昇る太陽の光、だから薬師の世界は東方瑠璃光世界とされました。
薬師如来が菩薩であった時、十二の願を立てられました。薬師の十二大願、また十二誓願と言い、それが成就して如来になられたので、病気を治す名医の仏ですが、病気は身体だけでなく、心の病、精神的な病気や障害、さらに人殺し、戦争などもあり、それらすべての苦しみから救ってくれるというのです。平安時代の清少納言『枕草子』には、
○経は法華経さらなり、普賢十願、千手経、随求経、金剛般若、薬師経、仁王経の下巻
○仏は如意輪、千手、すべて六観音、薬師仏、釈迦仏、弥勒、地蔵、文殊、不動尊、普賢
とあり、平安時代末の1169年、後白河法皇編纂の今様(当世歌謡集)『梁塵秘抄』には、次のようにあります。
○薬師の十二の大願は、衆病悉除ぞ頼もしき、一経其耳(ごに)はさて措きつ、皆令満足(かいりょうまんぞく)勝れたり
○像法転じては、薬師の誓ひぞ頼もしき、一度(ひとたび)御名を聞く人は、万の病も無しといふ
○薬師医王の浄土をば、瑠璃の浄土と名づけたり、十二の船を重ね得て、我等衆生を渡いたまへ、
○瑠璃の浄土は潔(いさぎよ)し、月の光はさやかにて、像法転ずる末の世に、遍く照らせば底もなし
薬師三尊では、中央薬師如来は薬壷を持ち、病気の苦しみに直接働きかけ救ってくれます。左右の脇士の日光菩薩、月光菩薩は何を意味するのでしょう。日月は光明、薬師の瑠璃光を表わし、漢字で日を左に月を右に並べると明という字になります。日本の古い呼び方で「あきらむ」、明らかにする、原因、理由、関連するところを究明するの意味です。病気の原因を明らかにして、病気の治し方を究明するのです。ただし、病気を治すには、日をかけ、月をかけ、時間をかけて治すことも必要です。再度漢字で日と月を上下に置くと日月、あるいは月日となり、時間を表しています。旧暦では時刻や、方位、季節を子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支で表して来ました。一日24時間を十二で表すため、二時間を半分づつ九つ九つ半のように、或いは四分割して丑一つ、丑三つのように時間表現を工夫しました。図表参照。

日光、月光を脇士とした薬師三尊、その廻りには、鎧、兜に身を固め、頭に子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥をつけた武将の姿の十二神将を眷属として従え、病に対峙し、守護します。
十二という数は月の数でもあり、季節や時間、さらには方位方角も表し、動物名でもあります。十二神将は単なる薬師如来の護法神ではありません。薬師如来、日光、月光の両菩薩と一緒になって、人びとの一刻一刻を、季節や、方角すべてにかかわって護ってくれるというのです。
人が病に気づき、苦しむ時、まずもって大切なのは原因、理由の究明でしょう。直接には薬や注射などの処方が必要ですが、時間を掛けて気長に養生しよく考えることも大切です。薬師三尊、十二神将は病の苦しみから救われるだけでなく、何故病が生じたのかも考えさせられます。未だかってなかったほどのグローバル化で拡がった喜びや楽しみ、利益がもたらす、とりかえしのつかない損失に人びとが気づき、対応し、実行することがお薬師さまの叡智だと思えるのです。