古典会だより-桜・さくら・サクラ-

ウメ梅、モモ桃、スモモ李、アンズ杏、サクラ桜、ボケ木瓜、サンザシ山査子、リンゴ林檎、ナシ梨、カリン花梨、ビワ枇杷、共通点はいずれもバラ科で、花は春に咲き(ビワだけは晩秋から初冬)淡紅・白などの五弁花で、多少の差はありますが、花に芳香があり、色、姿、形ともに美しく、食用、薬用、大いに有用ということでしょう。

とりわけ桜は、北半球の温帯から亜寒帯に分布し、特に東アジアに多く、日本では十数種の野生種と自然雑種百余種、園芸品種は三百余種あると言われます。桜は自家不和合性で自己の花粉では受精せず、ほかの木の花粉で結実するので、自然と変異の幅が広がり、大別して△ヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、△ヒガンザクラ、エドヒガンザクラ、△チョウジザクラ、オクチョウジザクラ、△マメザクラ、タカネザクラ、キンキマメザクラ、イシヅチザクラ、△ミヤマザクラ、△カンヒザクラなど一重咲き、或いは八重咲きの野生種があります。

『万葉集』では
○天の香具山、霞立つ春に至れば・・・桜花、木(こ)の晩茂(くれしげ)に
○龍田道(たつたぢ)の丘辺(おかべ)の道に・・・桜花咲きなむ時に
○春日山、三笠の野辺に、桜花木(こ)の晩(くれ)ごもり
○春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ
○龍田の山の滝の上の小桉(をぐら)の嶺に咲きををる桜の花は
○暇あらばなづさひ渡り向(むか)つ峯の桜の花も折らましものを
○い行き会ひの坂の麓に咲きををる桜の花を見せむ児もがも
○絶等寸(たゆらき)の山の峯(を)の上の桜花咲かむ春べは君し思はむ
○山峡(やまがひ)に咲ける桜をただ一目(ひとめ)君に見せてば何をか思はむ
○あしひきの山桜花ひと目だに君とし見てば吾(あれ)恋ひめやも
○龍田山見つつ越え来(こ)し桜花 散りか過ぎなむわが帰るとに
○あしひきの山の間照らす桜花 この春雨に散りゆかむかも
○うちなびく春さり来らし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲き行く見れば
○阿保山の桜の花は今日もかも散り乱るらむ見る人なしに
○見渡せば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも
○今日の為と思ひて標(しめ)しあしひきの峰(を)の上(へ)の桜かく咲きにけり
などなど圧倒的に山や野での桜を愛ずる歌が多いのですが、
○春雨に争ひかねてわがやどの桜の花は咲きそめにけり
○春雨は甚(いたく)な降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも
○桜花咲きかも散ると見るまでに誰かもここに見えて散りゆく
○やどにある桜の花は今もかも松風はやみ地(つち)に散る
○世間(よのなか)も常にしあらねばやどにある桜の花も散れる頃かも
○わが背子が古き垣内(かきつ)の桜花いまだ含めり一目見に来こね
○桜花時は過ぎねど見る人の恋の盛りと今し散るらむ
となると、桜は野山から人里へ、庭木、街路樹ともなり、自然の名所は名所でさておき、身近になることで桜への愛着はいや増し、より美しく豪華にと栽培での創意工夫が続けられ、野生種から、サトザクラ、ソメイヨシノ(明治初、東京染井村、豊島区駒込付近の植木商が広めて有名になり、公園、堤防などで桜の代表。花は一重で大きく、葉の前に咲くので華やか。かすかな香気あり)、八重咲きのウコンザクラ、ボタンザクラ、ツリガネザクラ、イトザクラ、枝垂シダレザクラ、などなど、それに実桜ミザクラ(オオトウ桜桃)の実はサクランボと呼ばれ、つややかで赤く甘い果肉は果物のプリンセスでしょう。

宮中の観桜の会は嵯峨天皇弘仁3年(812)にはじまるとされますが、ものみな移り行く中で、毎年変らず遅い速いの差はあっても、必ず美しく咲いてくれる桜の花、しかも超短命故に日本人の心をとらえ、文学、詩歌は枚挙にいとまなく、花と言って桜とは千二百年来の伝統でしょう。

中国では『詩経』に「桃夭」とあり、一般的には桃の花が代表ですが、唐では皇帝の姓「李スモモ」となり、則天武后の時は「牡丹ボタン」でした。晩唐の詩人于武陵(810~?)の
勧酒(酒をすすむ)
勧君金屈巵  君に勧む金屈巵(きんくつし)
満酌不須辞  満酌辞するを須(もち)ひず
花発多風雨  花発(ひらき)て風雨多し
人生足別離  人生別離足たる
詩は井伏鱒二氏の見事な訳で有名です。
コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ 花二嵐ノタトヘモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ

○ただ過ぎに過ぐるもの、帆かけたる舟、人の齢(よはひ)、春 夏 秋 冬(『枕草子』)
○桜の材は質が整い美しく、曲げ物、細工物、版木、農具などに使われ、樹皮のエキスは鎮咳、去痰薬に使われ、花と葉は塩漬けにして桜茶に桜モチにと、見て良し、使って良し、味わって良し、香り良し、まさに時の花と言いつべきでしょう。