古典会だより-秋の七草 詳解-

201610_1『万葉集』に山上憶良(660-733)「秋の野に咲きたる花を指折りかきかぞふれば七種の花」「萩の花、尾花、葛花、なでしこの花、おみなえし、また藤袴、あさがほの花」と、秋の七草は千三百年以上も前から、観賞用だけでなく、食用、薬用、建築工芸用と、実に多様、有用なものでした。

☆薄ススキ イネ科の多年草。日当りの良い山野のいたる所に自生し、毎年宿根から新芽を生じ、茎葉を叢生し、しばしば大群落をなし、高さは2メ-トルにも達します。茎頭に大きな花穂をつけ、細長い10数本の短枝を中軸から出し、その長さは30センチメ-トル以上にも成り、特に大なるは十寸穂マスホの薄と言われます。土手や堤上に株をなして叢生しているのも見事ですが、野一面、山一面に茂り、風に吹かれ光り輝くのは特に壮観です。シキナミグサ(敷浪草)ミダレグサ(乱草)ハタススキ・ハダススキ(旗薄)ハナススキ(花薄)、薄の穂が風に吹かれてなびくさまが、ちょうど人が袖を振って招いている様子に似ていると見てソデフリグサ(袖振草)尾を振り立つと見てオバナ(尾花)など別名、愛称があり、『万葉集』以下数多く取り上げられています。

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  • めづらしき君が家なる花薄穂に出づる秋の過ぐらく惜しも  額田王
  • 秋づけば尾花が上に置く露の消ぬべくも吾は思ほゆるかも
  • 秋の野の尾花が末に鳴く百舌鳥モズの声聞くらむか片聞く吾妹ワギモ
  • 夕立の雨降るごとに春日野の尾花が上の白露思ほゆ
  • わが屋戸の尾花おしなべ置く露に手触れ吾妹子ワギモコ散らまくも見む
  • さ男鹿の入野の薄初尾花いつしか妹が手を枕せむ     柿本人麿
  • 秋萩の花野の薄穂には出でずわが恋ひわたる隠妻コモリヅマはも
  • 秋の野の尾花が末に生ひなびき心は妹に寄りにけるかも
  • 秋津野の尾花刈り添へ秋萩の花を葺フかさね君が仮廬カリホに

『古今集』

  • 今よりは植えてだにみじ花すすきほにいづる秋はわびしかりけり
  • 秋の野の草のたもとか花すすきほにいでてまねく袖とみゆらん

『新古今和歌集』

  • 花薄まだ露ふかしほにいでては眺めじと思ふ萩のさかりを
  • 野辺ごとに音ずれ渡る秋風をあだにもなびく花薄かな

『かげろふの日記』

  • 花すすきまねきもやまぬ山ざとに心のかぎりとどめつるかな

『枕草子』

  • 草の花は・・。これに薄ススキを入れぬ。いみじうあやしと人いふあり。秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ。穂先の蘇芳にいと濃きが、朝露にぬれてうち靡きたるは、さばかりの物やはある。秋のはてぞ、いと見どころなき。色々にみだれ咲きたりし花の、かたちもなく、散りたるに、冬の末まで、かしらのいとしろくおほどれたるも知らず、むかし思ひ出顔に、風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。

観賞用の他に、茎葉は茅葺カヤブキ屋根の材料になります。『日本書紀』仁徳六十二年「土を掘ること丈余(ひとつあまり)、草を以て其の上を葺く。敦アツく茅荻ススキを敷きて、氷を取りて其の上に置く」とあり、『万葉集』には、

  • 秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の京の仮廬カリホし思ほゆ 額田王
  • はだすすき尾花逆葺き黒木もち造れる室イヘは万代までに 元正天皇

とあり、『源氏物語』須磨「かややども、葺ける廊めく屋など、をかしうしつらひなしたり」とあり、住宅の屋根は板葺か茅葺でした。茅はススキ、チガヤ、スゲなどの総称でしたが、ススキの異名となりました。
茅葺屋根は夏涼しく、冬暖かいのですが葺替えの時期があり、その時は、大量の茅が必要で、茅場、茅野、茅山にススキを生い茂らせ、村中共同での作業が行われました。茅結カヤユイ、茅講、茅無尽と中世から近世に受け継がれました。日本橋茅場町は江戸市中用の茅を調達する業者が集住した地名です。明暦の大火で瓦葺き、漆喰を使った土蔵造りになります。東京近郊農村も昭和三十年代に入ると茅葺きは消滅しました。しかし、ススキは屋根材としてだけでなく、牛馬の飼料ともなり、炭俵や茅簾カヤスダレから茅垣、茅筵カヤムシロなど、さらに、正月のどんど焼きの火付けに重宝です。十五夜の月見の時には米の粉のだんご、里芋の衣かずきとともに必需品でしょう。また民間療法では根茎を利尿剤として煎じて服します。色々な用途があり、実に有用、多用、重宝なものです。

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  • 線香やますほのすすき二三本 蕪村
  • 日が照ればそこら華やぎ花薄 蓼汀
  • 月の道捨てし薄の穂先より 茅舎
  • 機関車に助手穂先を弄ぶ 誓子