古典会だより-菊-

キク科の中でも代表的で美しい花の総称。多年草で、茎の下部は木質化しますが、草本ですから草冠が付きます。菊は漢字の音が「きく」、日本語の呼び方も「きく」です。中国では50万年以上も昔の菊の原種の化石が発見されており、菊は花の美しさのみならず、香りの良さも相俟って不老長寿の霊的な薬草として尊ばれました。奈良時代に日本に伝わった菊は、観賞用としてではなく薬草としてでした。あきのはな・いなでぐさ・ちぎりぐさ・かたみぐさ・よわいぐさ・ももよぐさなどとも言われ、また香りの良さから隠君子、延年、延寿客とも言われました。
万葉集』には菊の和歌は一首もありません。平安時代に入って『古今和歌集』から取り上げられ、『源氏物語』ではナデシコについで多く取り上げられています。この時代には、五節供の行事が定まり、一月七日(人日)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)で、菊は重陽の宴の主役でした。九月九日の前日に、菊の花に綿をきせかけ、露や香を移し、翌日、その綿で身体を拭ったり、菊を飾り、群臣に菊を浸した菊酒を賜わったりして、延命、長寿を願いました。『源氏物語』帚木「きくいとおもしろくうつろひわたり、風にきほへる紅葉の乱れなど、あはれと、げに、見えたり」
和泉式部日記』「消えぬべき露のいのちと思はずは久しききくにかかりやはせぬ」、『枕草子』「九月九日は、あかつきがたより雨すこしふりて、菊の露もこちたく、おほひたる綿などもいたくぬれ、うつしの香ももてはやされて、つとめてはやみにたれど、なほくもりて、ややもせばふりおちぬべくみえたるもをかし」、「草の花は、なでしこ。・・・・をみなえし、桔梗、あさがほ、かるかや、菊、壺すみれ・・・」、『紫式部日記』寛弘五年九月九日「きくのわたを、兵衛のおもとのもてきてこれとののうへのとりわきていとよう老のごひすて給へとのたませつるとあれば、菊の露わかゆばかりに袖ぬれて花のあるじに千代はゆずらむ」
古今和歌集』に、
○わがやどの菊のかきねにおく霜の消えかへりてぞ恋しかりける 紀友則
しらぎくの花をよめる
○心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花 凡河内躬恒
中国では黄菊が、日本は白菊を賞でました。観賞用だけでなく、装飾、絵画、文様、工芸などの題材にもなり、平安時代末から鎌倉期に武家が家紋を作ったのに倣い、菊が皇室の紋章となったのは、鎌倉時代初期の後鳥羽上皇が菊の紋様を愛好されたのに始まるとか。当時は皇室の独占物ではなく、菊の紋章を下賜したこともありましたが、明治4年(1971)、天皇家は十六花弁の八重表菊、皇族は十四花弁の一重裏菊と定められ、他用は禁止されました。
徒然草』(1330年頃成立)第十一段には、
「神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入る事侍りしに、遙かなる苔の細道をふみわけて、心細くすみなしたる庵あり。木の葉に埋もるる懸樋(かけひ)の雫(しづく)ならでは、露おとなふものなし。閼伽棚(あかだな)に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがにすむ人のあればなるべし」とあり、色・形・香り共にすぐれ、しかも長持ちする特性で仏前にも供養されています。
また、『徒然草』第百三十九段には、
「家にありたき木は、松・桜・・・草は、山吹・藤・かきつばた・撫子(ナデシコ)。池には蓮ハチス。秋の草は荻(をぎ)、薄(すすき)、きちかう(桔梗)・萩・女郎花・藤袴・・・かるかや・りんだう・菊。黄菊も。・・・いづれもいと高からず、さゝやかなる墻(カキ)に、繁(しげ)からぬ、よし」とあり、白菊・黄菊と挙げられています。
日本では菊は栽培種だけでなく、二十数種が野生していますが、、江戸時代以降、著しく品種改良が行われ、多数の園芸品種があります。花の大きさで直径18㎝以上の大輪、9~18㎝の中輪、9㎝以下の小輪と分け、一輪ずつだけでなく大輪種の大作り花壇、小輪種一重咲きの懸崖作りや古木作り、菊人形仕立てなど工夫をこらしています。さらに洋菊も改良され、切り花として栽培されています。フランス菊、シャスタ-デージ、マ-ガレット。マリ-ゴ-ルドなど。菊は菊科の代表ですが、他に思いがけない野草のふき、よめな、よもぎ、たんぽぽ、こおにたびらこ(ほとけのざ)、ははこぐさ、ちちこぐさ、つわぶき(以上食用可)、はるしおん、じしばり、のあざみ、のげし、のこんぎく、はんごんそう、おなもみ、おやまぼくち、ひめじおん、あきのきりんそう、せんだんぐさ、うすゆきそう、など、野菜としてはごぼう、春菊、菊いも、食用菊など、栽培種では、ガ-ベラ、西洋のこぎりそう、コスモス、ダリア、ひまわり、百日草などがあり、薬用として除虫菊もあり、多種多用、実に有用で、良いこときく(聞く)よう願いたいものです。