慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その14-

○十三日正午、請益傔従(従者)惟皎・留学傔従仁好①が同時に剃髪した。

○十四日、砂金大二両、市頭において交易す。市頭で一大両七銭に秤定し、七銭は大二分半に準当、価は九貫四百文なり。更に白絹二疋を買い、価は二貫、七条・五条の二袈裟を作らしむ。また僧貞順をしてこの事を勾当せしむ。朝、斎後、禅門宗僧ら十三人が来りあい看る。長安千福寺天台宗恵雲、禅門宗学人僧弘鍳・法端・誓実・行全・常密・法寂・法真・恵深・全古・従実・仲詮・曇幽ら筆書して云うに、「並びに閑静が続き、繋がり無く、山水に雲遊し、この五峯より、江蘇省から山東省の楚泗地方②に下游し、今この郡に到る。殊に喜びて頂礼す。大奇なり大奇なり。これを歓ぶこと甚しき。今天台山に往んとす。告辞して便ち別れん。珍重珍重」と。ここに筆書して報いて云う、「日本僧らは昔大因有り。今和尚らに遇う、定かに必ず法性寂空なるを知る。大幸大幸。もし天台に到る有れば、必ず将に相見③えん。珍重珍重④」と。

【語句説明】
①仁好・・・仁好は円載蒐集経典を持参して帰国した。経典は奈良東大寺に伝世する。
②楚泗地方・・・江蘇省から山東省の楚州(現、江蘇省淮安市)、山東省の泗州市で、いずれも人口百万の大都市である。
③相見・・・円仁を訪問した十三人の唐僧中、十二人が禅僧で当時天台山が天台宗寺院というより、禅宗寺院に代わっていたことが分かる。
④珍重珍重・・・「まあお大事に」の意味であるが、「じゃあ。また、おめにかかりましょう」という意味である。

【研究】円仁一行が天台山へ向う許可が唐側から下りない。日本国遣唐使が唐国に入国するには特別な手続きが必要とされた。まず入国地の所管州役所に入国申請願いを出す。唐後期の藩鎮割拠時代では都督府に出す。唐側州知事の刺史、都督は中央朝廷の裁可をまつ。門下省から勅旨が下って、上京の人数や待遇が指示される。唐滞在費用はほとんど日本側負担である。福建に入国した時、悪待遇に抗議した弘法大師空海の文章が残る。文句を言わないと改善はない。唐側が日本遣唐使に友好的であったことは全く無い。唐側はあくまで朝貢使節と扱う。

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