釈迦如来、お釈迦さまの話-その1-

古典会は桜、漢字講座が花と続きましたので仏さん、仏像の話しはやはり花祭りと言えばお釈迦さま、釈迦如来の話しを始めましょう。何と言っても、お釈迦さまは仏教の開祖、話すことは八万四千もあります。まずお釈迦さまの誕生について述べましょう。これが花祭りに関係します。

△花祭りが何でお釈迦様か、四月八日のお釈迦さま誕生の時、それを祝福して百花が一斉に開き、天界の龍王が下界して甘露を降らせたとされます。後にお釈迦さま誕生は灌仏会として花御堂をつくり、そこに盥を入れ、中に右手を上、天を指さし、左手は下、地を指す誕生仏を立たせて、その御頭の上から甘茶をそそぎます。これを灌仏会と呼びます。

△右手を上、天を指さし、左手は下、地を指すとは、「天上天下唯我独尊」(私は世界のうちで一番尊い。最勝の存在だ)というのです。何か偉そうな感じですが、人間はだれでも尊い存在だというのです。やや詳しく事情を見ましょう。仏像出現のごく初期、歴史的釈迦が信仰の対象になる時代の世界遺産にガンダ―ラ仏像群がありますが、そこの極く初期の作品に釈迦の一生を彫刻にして表現した作品があります。
△そもそもお釈迦さまが何でお釈迦さまと言うかといえば、お釈迦さまは紀元前五世紀ごろ北インドに釈迦族という王族一家に誕生しました。父は浄飯王、母は摩耶マヤ夫人です。マヤ夫人からお釈迦さまが誕生すると、お釈迦さまは四方に七歩あゆみ、右手を挙げて「天上天下唯我独尊」と唱えました。後にお釈迦さまが神格化されますと、お釈迦さまは生まれながらにして自分は尊いものだと宣言したとされます。

△灌仏会はお釈迦さまの国インドから仏教が伝わり、今日に継承されている国、スリランカ、ミャンマ一、タイ、カンボジア、ラオス、そして北方はチベット、中国、朝鮮韓国、日本、ヴェトナムなどの諸国で共通に行われる儀式です。

△東アジアの中国で初めて灌仏会が行われたのは、4世紀前半に、五胡十六国の一である後趙石虎に始まります。インドから中国に渡来した僧侶、仏図澄の勧めで中国で初めて灌仏会を挙行し、以後敬虔な仏教徒となった後趙天王石虎は毎年四月八日にお釈迦さまの誕生を祝って花祭り、灌仏会を行いました。

△日本への仏教初伝を記す「元興寺縁起」には戊午の年(538)、朝鮮百済国の聖明王が灌仏、すなわち甘茶をかける「天上天下唯我独尊」のお釈迦さま、及び灌仏用具を日本にもたらせたと記しています。日本には仏教伝来の当初から灌仏会が伝わりました。全国の寺院で悉く花祭りが祝われるゆえんです。

△拝島大師でも江戸時代から伝わる、やや小振りの灌仏像が寺宝として伝わり、毎年四月八日には旧本堂、現大黒天・薬師堂の浜縁に花御堂を安置し、盥中の誕生仏像に甘茶をかけます。「南無釈迦仏、南無釈迦仏」と三遍唱えると一年無病息災だと言われます。

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