薬師如来、お薬師さんの話-その一

拝島大師旧本堂の大黒さん奥に薬師如来・日光菩薩・月光菩薩、それに十二神将が揃いました。主尊の薬師如来、お薬師さんから紹介します。

日本では仏教伝来間もない飛鳥時代を代表する法隆寺金堂の10号壁画に薬師浄土が描かれています。薬師如来が日光菩薩、月光菩薩を伴う薬師三尊です。東方薬師瑠璃光浄土とされます。因みに法隆寺金堂には釈迦如来と文殊・普賢両菩薩の釈迦三尊で釈迦浄土、阿弥陀如来と観音・勢至の両菩薩の阿弥陀三尊で西方極楽浄土、それと北方弥勒浄土です。釈迦の浄土は現在の仏の浄土、阿弥陀浄土は死後来世の彼岸の浄土、弥勒浄土は五十六億七千万年後の遠い遠い未来の世の浄土です。

次に七世紀の白鳳時代は奈良西の京の薬師寺金堂、講堂の本尊は堂々としたブロンズ青銅製の薬師三尊です。その台座には青龍・白虎・朱雀・玄武の東西南北の四神を作っています。さらに奈良時代では新薬師寺に十二神将が護法神として取り囲んでいます。薬師如来、また日光、月光両菩薩を脇士として薬師三尊、その廻りに鎧、兜に身を固めた武将の姿の十二神将が眷属として従っています。誠に賑やかな、むしろドラマを演じているような仏様の群像です。これが薬師如来のご一行ですが、人々に何を教え、いかなるご利益を与えてくれるのでしょう。

まず薬師如来の歴史を考えましょう。インドにおけるこの仏の起源や発達は明らかでありませんが、法隆寺金堂壁画の菩薩像にアジャンターの壁画の影響が強いこと、また一般に薬師如来の原形と考えられる薬王菩薩が大乗仏教初期の経典に出ていることから、インドですでに薬師如来像とその信仰が始まっていたと考えられます。

薬師如来を説明したお経は薬師経と言いますが、中国の漢訳に五訳があり、その第一は四世紀の東晋時代、帛尸梨蜜多羅の訳で仏説灌頂抜除過罪生死得脱経と題します。これは仏説灌頂経十二巻の一巻でもあります。経の趣旨は衆生の生前に犯した罪過を抜き除いて生死の苦から脱れることを教えます。これは今日でも奈良の薬師寺で行う薬師悔過の法に繋がる教えでしょう。第二の訳は五世紀の南朝宋時代、慧簡の訳、薬師瑠璃光経と題しました。第三が七世紀初、我が聖徳太子の時代ですが、隋の文帝の時代、達摩笈多の訳で仏説薬師如来本願経一巻です。薬師の本願という重要ポイントはすでに隋の達摩笈多の訳で仏説薬師如来本願経から見られます。法隆寺金堂壁画の薬師三尊の教科書です。

第四は七世紀半ば、唐の玄奘、すなわち「西遊記」で有名な三蔵法師玄奘の訳で薬師瑠璃光如来本願功徳経一巻です。最後の五番目は唐の則天武后の時代、海からインドに旅をした義浄三蔵の訳で薬師瑠璃光七仏本願功徳経二巻です。この義浄訳で薬師如来以前の過去六仏と薬師如来の七仏薬師が始めて訳されました。五つの訳の内、薬師経といえば普通玄奘訳の薬師瑠璃光如来本願功徳経となっています。これによれば、薬師如来、具には薬師瑠璃光如来といい、仏教で考える諸世界の内、東方瑠璃光世界の教主です。この如来が菩薩であった時、十二の願を立てられた。薬師の十二大願、また十二誓願と言います。

その内容は人のほか一切衆生の生存を全うし、衣食住の生活を安穏たらしめ、病苦、身体障害などを除こうとして立てた誓願です。具体的に数えてみましょう。
 第1に光明普照の願、
 第2に随意成弁の願、
 第3に施無尽物の願、
 第4に安立大乗の願、
 第5に一切衆生をして梵行を行じ三聚淨戒を具せしむる願、三聚淨戒と摂律儀戒・摂善法戒・摂衆生戒をいう。また持戒清浄、
 第6に一切の身体能力に障害の有る者を助けて身体能力の完全を図る願、また諸根具足、
 第7に一切衆生の衆病を除き心身安楽にして無上菩提を証得せしむる願、また除病安楽、
 第8に転女得仏、女性が仏教徒になること、また女性が仏陀になること、
 第9に諸の有情を天魔外道の邪見から守る願、また安立正見、
 第10に衆生をして悪王や人質誘拐犯人から脱出させる願、また息災解脱、
 第11に飢餓渇水の衆生をして食物と水を与える願、また飽食安楽、
 第12に貧窮で衣服無き者に上等な妙衣を与える願、また荘厳豊満、
 ○薬師如来には十二大願医王善逝という称号があります。 以下次号