釈迦如来、お釈迦さまの話-その11-

釈迦の平等主義 釈尊時代のインド社会はバラモン(僧侶)・クシャトリア(王族・武士)・ヴァイシア(平民)・シュドラ(奴隷)の四種姓から成るカ-スト制度という身分差別が厳格な社会でした。これを釈尊は仏教教団に参加した出家の仏弟子と在家の一般信者ともにカ-スト制度を否定して平等社会の実現を期そうと考えました。
釈迦は、人間の尊さや価値は生まれ、家柄や職業にあるのではなく、特に四種姓の何かではなく、その人の行為いかにあるとし、いかに尊貴の生まれでも悪いことや他の人を困らせる行為をしたものは罰せられ、出自が下層でも立派な行為をすれば仏教教団では上位に置かれ尊敬されるとしました。したがって出家後はその行為や能力にしたがって序列を定め、そこに人種や階級による差別を全くつけなっかったのです。釈尊はちょうどインドの四大河が大海にそそげば、おなじく海水とよばれるように、四つの種姓階級から出家した者も、仏教教団に入れば同じく釈子として仏弟子になるとしたのです。この仏教社会の平等主義は。古来の風習を重んじ。自らの権威の確保のために四種姓階級の差別を厳格に守ろうとする正統バラモンの態度と全く相反するものでした。それに釈尊の平等主義は人種や民族の制限なく人間平等に扱う教えでしたので国家の枠を超えて国際的な広まりを持つものでした。釈尊の時代より後に従来のカ-スト制度に基づくガンジス川流域の都市国家を統一し、さらにデカン高原や西北インドの他領域に支配を拡大して帝国を建設した前3世紀のマウリア王朝アショカ(阿育)王などは仏教を古代インド帝国の法(ダルマ)すなわち根本法典としました。その後、クシャナ朝のカニシカ王(140~170年)、グプタ朝(320~520年ころ)のチャンドラ・グプタ王、さらに7世紀ハルシャ=ヴァルダナ(戒日)王らは仏教に深く帰依して政治を行いました。ヴァルダナ王は仏教研究の総合大学としてナ-ランダ寺院を建設しましたが、ここに唐から西域地方を経て三蔵法師玄奘が訪れています。しかし、このハルシャ=ヴァルダナ王の死後、インドは分裂し、ヒンドゥ-教が盛んになり仏教は衰退しました。仏教の平等主義がインド民衆の支持を失っていく過程でした。

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