釈迦如来、お釈迦さまの話-その19-

仏像の展開 初期の仏像はお釈迦さま、釈迦仏の像で、なかには過去仏を表わしている場合もありますが、まったく同形像で区別はつきません。大乗の諸仏、薬師仏、阿弥陀仏の像が仏像の初期の時代に含まれていたか否かは不明です。逆に言えば薬師仏、阿弥陀仏の像が何時頃から制作されたかの究明は実はかなり難しいのです。それよりもインド・西北インドから北廻り、南廻り、あるいは西まわりで世界各地に広がった跡を追跡する必要があります。
如来像と菩薩像 仏陀像のほかに如来像と菩薩像が作られ、それぞれそれらを特徴づける像容の表現形式もだいたい定型化してきます。菩薩は初期仏教では菩提(さとり)を求めているサットヴァ(有情すなわち生命ある者)とも、あるいは菩提を得ている有情とも解されています。西暦前後のインドの仏教文学にあらわれた理想的人格者のことという説明もあります。主としてパ-リ語で伝えられるジャ-タカ(仏の伝記)ではさとりを求めて修行する前生の仏陀を意味します。ガンダ―ラの初期の仏像の菩薩像がこの釈迦像で、カ-ルして波うつ髪毛、鼻口周囲にはヒゲを生やしたように見える仏像もあります。ところが紀元1,2世紀の大乗仏教になると、菩薩乗が説かれ、小乗仏教の声聞(しょうもん)乗・縁覚乗よりもはるかにすぐれた教えであると説かれました。そして菩薩の修行方法である布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜により彼岸すなわちさとりに到り,般若(智慧)を求めて十地の修行段階を経て仏の位に等しい覚(等覚)に達します。一方、大慈悲心から誓願をおこして衆生済度のために長時の修行を積んで報身仏となる。すべて菩薩においては自利は他利、利他は自利であって、出家・在家の立場にとらわれず常に大衆に交わり世間を利益する。これを下化衆生というのです。菩薩の窮極の存在としては、連帯責任の自覚によって、ひたすら慈悲を行うために地上に留まり、永久に完成者すなわち仏陀とはならないと信じられた観音菩薩や、六道輪廻最下層の地獄に到っても、そこの衆生を救済しようと誓願した六道能化の地蔵菩薩が居られます。