釈迦如来、お釈迦さまの話-その20-

如来像の差異と三尊形式の発生 初期の仏像はお釈迦さま、釈迦仏の像で、なかには過去仏を表わしている場合もありますが、まったく同形像で区別はつきません。大乗の諸仏、薬師仏、阿弥陀仏の像が仏像の初期の時代に含まれていたか否かは不明です。逆に言えば薬師仏、阿弥陀仏の像が何時頃から制作されたかの究明は実はかなり難しいのです。大体は坐像の場合には膝下の下肢を膝上の大腿部に載せる結跏趺坐、それも両方とも載せる全跏坐の下半身です。その上部、胸の下、腹の前に両手を延ばし交互に載せる形の定印を結んでいます。この定印のような姿は手の形、しぐさに意味をこめます。釈迦像は説法の姿を手の形でその説法の意味を表現します。ゼスチャ―と考えてよいでしょう。立像ですと、右手はその手のひらを前に差し出して立て、左手は人指し指を伸ばして下にむける与願、施無畏の印を結びます。与願はあなたに願うものを与えましょう。施無畏は決して畏れなくてよいですよという意味です。ただ、坐像でも与願、施無畏の印のほかに、左手の親指・人指し指で丸を作り、そこに右手の人指し指を添える転法輪の印を結ぶ場合もあります。やや特殊なものでは右手の人指し指を結跏趺坐の膝の前から下に下げ、左手は衣のたもとを握った降魔の印が有ります。顕教の種々の如来像は本来は釈迦像と同形式でしたが、次第に釈迦仏、薬師仏、弥勒仏、阿弥陀仏についてそれぞれの如来の特性に照応した仏像形式が試みられます。例えば薬師仏は右手は与願印、左手は手のひらを上に向けそこに薬壷を載せています。薬師仏は中国の漢字の薬が書かれているので、病気を治す医者薬師になったのです。弥勒仏は手印は釈迦像と同じでも、56億7000万年先の未来に下生する第二の釈迦仏なので足を交互にする交脚の像です。また阿弥陀仏は九品往生の阿弥陀として下品下生、下品中生、下品上生、中品下生、中品中生、中品上生、上品下生、上品中生、上品上生の九種の手印を区別しています。それでも各如来像の容貌姿形は区別がつかず、手の印も薬師仏の薬壷を除き、互いに融通性が有りますので、如来像の仏像の意味は左右の脇侍やその他の随身によって全体として区別する方法が3、4世紀ころ始まりました。釈迦仏の左右には文殊菩薩、普賢菩薩を従えます。薬師仏は日光・月光の両菩薩、さらに十二神将を従えます。阿弥陀仏は観音・勢至両菩薩です、それぞれの三尊仏の両脇侍の菩薩をどのように区別するか。左右の位置だけが区別で全く同型でしたが、これも区別の方法が出て来ました。釈迦仏の文殊菩薩は獅子に乗り、普賢菩薩は象に乗っています。薬師仏の日光菩薩が頭に丸い日をつけ、月光菩薩は同じく半月をつけるようにして区別する例がごく少しありますが定着しなかったようです。それより十二神将を従えることで薬師仏を区別しました。十二神将は十二干支の鼠から猪の動物の姿を頭につけます。
ところが日本の奈良天平時代には中国唐時代の華厳経の隆盛により盧舎那仏が出現し、それが東大寺大仏に作られ、一尊の意味が最重要になりましたが、三尊の伝統も残りました。平安時代には密教が入り、その尊像がまた独自な展開を見せますが、それは次回以降に取り上げます。