八部衆 前回の最後に南都興福寺の八部衆、十大弟子像を思い出してください。時にその阿修羅さんはなぜ悲しげなお顔をされているのでしょうと述べました。そこで八部衆、また天竜八部衆とはを説明しましょう。『妙法蓮華経』法師功徳品に、次の一節があります。「復た次に、常精進菩薩よ、もし善男子・善女人ありて、この法華経を受持し、もしくは読み、もしくは誦し、もしくは解説し、もしくは書写せば、千二百の耳の功徳を得ん。この清浄なる耳をもって、三千大千世界の、下は阿鼻地獄に至り、上は有頂に至るまで、その中の内外の種種のあらゆる語言の音声・・・天の声・龍の声・夜叉の声・乾闥婆の声・阿修羅の声・迦楼羅の声・緊那羅の声・摩睺羅伽の声、云云」。ここで天とは天部の諸天、すなわちインドの神々で天上に住む。龍は蛇形の鬼神、地上・空中・水中に住し、雲雨を自在に支配する力をもつ。また別に龍王があり、龍族の王、八大龍王、密教で雨を祈る本尊とする。龍と龍王はしばしば混同される。夜叉はもと形体容貌醜悪で人を害し食うという、猛悪なインドの鬼神。後、天夜叉・地夜叉・虚空夜叉に分かれる。乾闥婆は緊那羅と共に帝釈天に奉持し、伎楽を奏する神、酒肉を食わず、香を求め虚空を飛翔する。これが幻で作った都市(城)を乾闥婆城という。次が阿修羅、古代インドの神の一族、のちには天上の神の敵とされるが、仏教では仏法の守護神となりました。阿修羅は地下または水中に住み戦争戦闘大好き、その王阿修羅王は常に梵天・帝釈天と戦う。阿修羅は修羅ともいい、その世界を修羅道、人間世界より一段低い六道の一である。そうした極悪非道の阿修羅がなぜ仏教の守護神となったか。これは八部衆全体の問題でもあります。阿修羅の次は迦楼羅、インド神話に出るガルダ鳥に基づき、須弥山世界の四天を飛翔し、竜をとって食うとする。翼は金色、頭には如意珠があり、常に口から火焔を吐く。その大きさ三百余里という。密教では梵天などが衆生を救済するために変化したものだとする。またわが国の天狗はこれが変化したものともいいます。金翅鳥とも妙翅鳥ともいい、図像は大きな両翼を拡げ、二本の鳥獣の足で立ち、翼の他に二臂または四臂を持ち、合掌したり、経巻を持ったりする。また頭部だけ鳥で体は鎧姿の人間像の迦楼羅が南都興福寺の八部衆の一でもあります。次に緊那羅は美妙な音声で歌舞する天の楽神、その形は人に似るが、神・人・畜生のいずれでもなく、人非人、歌神とも訳される。摩睺羅伽は大いなる腹ばう神、大うわばみ、蛇神の一種。ただ首だけ蛇の人物像もある。錦蛇を神格化した神とされ、奈良興福寺の八部衆では畢婆伽羅像と言いますが、『法華経』の呼び名を使わなかったようです。
ところで天竜八部衆はなぜ仏法護法神となったのでしょう。特に阿修羅は仏敵です。一つの理由に『法華経』の教えはいかなる者、どんな存在のものにとっても有り難い教え、救済される教えだと受け止められ、改心したという説明です。なお、次回に続きます。