【漢字講座】第34 梅(バイ・メ、うめ)

令和という年号は『万葉集』巻五の「梅の宴三二首」の序文から採ったということです。そこで梅の漢字を考えましょう。梅は音がバイ・メ、訓が「うめ」です。ただ、梅は六、七世紀頃、中国江南、呉の地方から渡来した植物、梅の呉音であるメの写音で、古くはムメと言ったようです。梅の本字は某、仮借の漢字、つまり意味から考えた漢字です。某という漢字は木の上に甘(甘い)が載ります。でも梅は酸果、すっぱい果物です。何か変ですが、某の『説文解字』には「某、酸果也。木に従い、甘に従う」とあり、ここでも某は酸っぱい果実、でも甘いに従うと説明します。酸っぱい実がなぜ甘くなったか、分かりません。なお、梅の本字が某ということも、明の『正字通』に見えるのが最も早い典故ですので、元来の意味の説明はできません。中国の古い文献の『書経』説命下には「爾惟れ塩梅(なんじこれあんばい)」と見え、塩梅という梅の用語が古くから使われていることがわかります。塩梅は塩と梅酢で調味することがもとの意味ですが、一般に、料理の味加減を調合することの意味になります。またその味加減のことを言います。それから調理ことばから離れて、物事の程合いを意味するようになりました。でも塩梅は梅の味、酸っぱいが強烈に残ります。因みに塩は塩醎(しおからい)味です。梅の実を塩漬けにし、取り出して日光に干し、赤紫蘇の葉の液を加えて、赤味を出したものを梅干、思っただけで酸っぱい味が口の中に出ます。
△梅は「くすのき」という説もあり、梅は古字が楳だという説もあり、木偏に毎の毎はバイの音を出すだけとし、その樹木の名は楠であるといいます。結局、梅は古くはよく分からなかったのでしょう。どうしてでしょう。梅は中国中南部の樹木、漢字の故郷黄河流域には少なかったとも考えられます。
△梅の花は春、百花に先駆けて一番早く咲く花です。梅の花の枝には鶯がとまります。鶯の鳴く声で春が来たというのです。鶯は春告鳥とも言われます。しかし、奈良時代の『万葉集』には梅に鶯の取り合わせより、意外な取り合わせが多いのです。梅に雪です。先に挙げた『万葉集』巻五の「梅の宴三二首」の主人、大宰帥大伴旅人の822一首には、
○わがそのに うめのはなちる ひさかたの あめよりゆきの ながれくるかも
また、大監伴氏百代の823一首にも、
○うめのはな ちらくはいづく しかすがに このきのやまに ゆきはふりつつ
梅の季節は冬だとも言われるのです。ただ、同じ梅と雪の取り合わせでも、大隅目榎氏鉢麿の839
○はるののに きりたちわたり ふるゆきと ひとのみるまで うめのはなちる
及び土師氏御道の844一首の、
○いもがへに ゆきかもふると みるまでに ここだもまがふ うめのはなかも
梅の花が散るのがまるで雪が降るように見えて美しいと歌うのです。季節は梅の花散る春なのでしょう。ところで「梅の宴三二首」の梅が春の訪れや、鶯との関係を歌っているものを挙げましょう。大宰大弐紀卿の、
815一首に、
○むつきたち はるのきたらば かくしこそ うめををきつつ たのしきをへめ
筑前守山上憶良の、818一首に、
○はるされば まづさくやどの うめのはな ひとりみつつや はるひくらさむ
大典史氏大原の、827一首に、
○はるされば こぬれがくれて うぐひすぞ なきていぬなる うめがしづえに
陰陽師磯氏法麿の、837一首に、
○はるののに なくやうぐひす なつけむと わがへのそのに うめがはなさく
算師志氏大道の、838一首に、
○うめのはな ちりまがひたる をかびには うぐひすなくも はるかたまけて
壱岐目村氏彼方の、841一首に、
○うぐひすの おときくなべに うめのはな わぎへのそのに さきてちるみゆ
対馬目高氏老の、842一首に、
○わがやどの うめのしづえに あそびつつ うぐひすなくも ちらまくおしみ
小野氏国堅の、845一首に、
○うぐひすの まちかねてにし うめのはな ちらずありこそ おもふこがため

ところが大宰府の役人の一人、大監伴氏百代の、824一首に、
○うめのはな ちらまくおしみ わがそのの たけのはやしに うぐひすなくも
△梅と鶯を取り合わせても、鶯は梅の枝先で鳴くのでなく、竹藪で鳴いているという歌もあるから面白いのです。
△日本では梅に鶯、梅の花は次第に早春の風物詩となりました。梅の漢字講座はなかなか難しいことになりました。