○三月二十五日、卯の時(午前六時ころ)、出発。風は正西より吹く。淮河の流れに乗って東行した。未の時(午後二時ころ)、徐州①の管内の漣水県②の南に到り、淮河中に停留した。風色は変らざれども、第一船③の新羅水手及び梢工④ら船を下りて未だ来らざるによりて諸船はこれが為に拘留し、進発を得ず。夜を通じて、信風⑤変らず。
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古典会だより お盆さん
西暦720年編纂の『日本書紀』巻二十二、推古天皇十四年(606)の夏四月の乙酉の朔壬辰に、「銅・繍の丈六(約4・8メートル)の仏像、並に造りまつりおわりぬ。是の日に、丈六の銅の像を元興寺の金堂に坐せしむ・・・是年より初めて寺に、四月の八日、七月の十五日に設斎す」とあります。四月の八日は釈尊の誕生会、灌仏会のはじめ、七月の十五日は盂蘭盆会ですが、元は夏安居の日、衆僧を供養する儀式でした。その後祖先の霊に供え餓鬼に施す法会になりました。 続きを読む
漢字講座・第36 東(とう・ひがし・あずま)
現在、コロナウィルスによる新型肺炎大流行の拡大を抑えるために世界中で東西南北の人の移動が制限されています。 続きを読む
釈迦如来、お釈迦さまの話-その23-
権現さま 日本独特の仏様に権現様があります。仏・菩薩が衆生を救うために種々の身や物を権(かり)に姿を現すものです。 続きを読む
慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その40-
○三月十九日、楚州の州刺史(知事)が、酒餞を設け相公を屈したが、相公は出席しなかった。但し判官以下着緋の人びと①が州役所で餞別のもてなしを受けた。朝の斎食後、請益僧円仁らは寺を出て船に赴いた。
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古典会だより お薬師さま
日本では仏教伝来間もない飛鳥時代を代表する法隆寺金堂の十号壁画に、薬師浄土が描かれています。薬師如来が左に日光菩薩、右に月光菩薩を伴う薬師三尊です。東方薬師瑠璃光浄土とされ、瑠璃光の瑠璃はガラスに似た宝石ですが、一説にはダイヤモンドだとも言い、光の最上を言います。朝、東から昇る太陽の光、だから薬師の世界は東方瑠璃光世界とされました。
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漢字講座・第35 医・醫(い)
病気を治すのは医です。中国に始まったコロナ新型肺炎の患者さんをなんとしても治すことが肝心です。そこで漢字の医を取り上げましょう。 続きを読む
釈迦如来、お釈迦さまの話-その22-
天・守護仏 南都興福寺の八部衆の阿修羅に続いては、八部衆最初の天について説明します。『妙法蓮華経』法師功徳品に、次の一節があります。「復た次に、常精進菩薩よ、もし善男子・善女人ありて、この法華経を受持し、もしくは読み、もしくは誦し、もしくは解説し、もしくは書写せば、千二百の耳の功徳を得ん。 続きを読む
慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その39-
○三月四日、朝の斎食後、敬文禅師は揚州に向かって出発しようとした。円仁に語って云う、「揚州に着いたら円載と共に、天台山に行きます。かねて先刻分与された無行和尚の信物①を天台座主にお届します」と。
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古典会だより-春の七草ホトケノザ
春夏秋冬、四季の変化に恵まれた日本では、古来、各季節の変わり目、節目フシメを大切にして来ました。ただし、明治までは暦は旧暦で、日を数えるにも、ほぼ一カ月のズレがあります。しかも旧暦では一・二・三月は春、四・五・六月は夏、七・八・九月は秋、十・十一・十二月は冬ですから、一月の年賀は初春、新春となり、七夕は秋の季節を表わす季語です。 続きを読む