釈迦如来、お釈迦さまの話-その15-

釈迦の生涯が信仰の対象に 釈尊は釈迦国の首都カピラ城から南方マガダ国との中間にあるクシナ―ラ―という地方都市で80歳の生涯を閉じました。釈尊が没すると、その遺体は荼毘(火葬)に付されて、その舎利は生前に釈尊と関係の深かった諸方の国王や種族の間で八等分され、各地で舎利塔を建てて祀られました。
200年後のインド最初の統一帝国であるマウリア王朝のアショ-カ王は、7カ所の仏舎利を細かく分けて祀り、インド全国に八万四千の塔を建てたと言われます。釈迦を慕う人びとは、まず舎利塔崇拝を始めましたが、やがて舎利のほかに釈尊の遺髪、歯牙、足裏・足跡、仏鉢などを祀り崇拝しました。また、釈尊が菩提樹の下でさとりを開かれたことから菩提樹の崇拝も興りました。さらに彼の生まれたルンビニ-園、成道したブッダガヤ-、最初の説法の地のベナレスの鹿野苑、入滅の地クシナ-ラ-は四大霊地として、出家・在家の仏教信者たちによって巡拝の地となり、今日に続いています。因みに釈迦の誕生、成道、入滅の月日に関しては、最古の文献は何も記していません。中国や日本では、釈迦の誕生は四月八日、成道を十二月八日、入滅を二月十五日とし、それぞれ花まつり、成道会、涅槃会という法会、催しを行います。他方、南方仏教国では、誕生、成道、入滅の月日ともにヴェ-サ-カ月(4~5月)の満月の日に当たるとして、この日にヴェ-サ-カ祭(南方仏陀祭)という記念式典をもって、盛大に諸行事を行っています。ただ、釈迦の誕生、成道、入滅の重要出来事とその他のさまざまなエピソ-ドの内容は北伝、南伝いずれも同内容で大差はありません。いずれにしても釈迦の生涯そのものの内容、意味するところが仏教では重要な崇拝の対象ですが、それを見事な造型芸術にした作品は1~3世紀のインド西北部からアフガニスタンにかけてのガンダ-ラ様式の浮き彫りレリ-フに残されています。さらにそれにすぐ続き釈尊の前世譚も作成され、釈尊の生涯の持つ宗教性はより高度に発展しました。