釈迦の平等主義 釈尊時代のインド社会はバラモン(僧侶)・クシャトリア(王族・武士)・ヴァイシア(平民)・シュドラ(奴隷)の四種姓から成るカ-スト制度という身分差別が厳格な社会でした。これを釈尊は仏教教団に参加した出家の仏弟子と在家の一般信者ともにカ-スト制度を否定して平等社会の実現を期そうと考えました。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その10-
出家・在家 釈尊時代の仏教社会は出家の仏弟子と在家の一般信者との両者の仏教信者から構成されます。出家の教団は一般民衆を指導教化する専門家の集団であり、民衆は在家の信者として、専門家の出家から精神的に指導救済をうけるかわりに、出家者に対して物質的な衣食住などを布施供養しました。両者は精神・物質の両面で共生依存の関係を作り、人生の有意義な目的実現のため努力し、幸福平和な理想社会の建設を期したのです。その目的は次第に実現し、仏教は当時の正統・非正統の宗教教団の中で最大の勢力となりました。出家者ははじめは男の僧侶の比丘のみでしたが、やがて女性の出家者である比丘尼教団も発生し、戒律は男女別々となりました。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その9-
舎利弗・目犍連 仏の二大弟子として有名な舎利弗(シャ-リプッタ)・目犍連(また目連、モッガッラ-ナ)の2人はともにバラモン(婆羅門)出身の青年でしたが、バラモン教の教えに満足できず、新しい法を求めてサンジャヤという出家の弟子となりましたが、それでも心の満足は得られず、さらにすぐれた教えを求めていました。 続きを読む
釈迦如来、お釈迦さまの話-その8-
初転法輪 今日サ―ルナ―トと呼ばれる土地にお釈迦さまの時代の呼び名であるベナレスの鹿野苑で、かつての弟子五人たちに釈尊は自分のさとりの内容を話し出しました。釈尊の最初の仏法説法で初転法輪と呼びます。転法輪とは転輪王がその輪宝を転じて全世界を征服するにたとえて、仏が説法することを、法輪を転ずるとといったものです。この最初の説法では、仏教の根本教理である四諦・八正道が説かれました。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その7-
覚者釈尊 おさとりを開いたお釈迦さまはそのさとりの内容を確認して、かつこれを世人に説き示す方法を考察するために、7週間坐禅を続けたとされます。必至で考えたのです。ここは注意しなければならないところです。お釈迦さまは坐禅でおさとりを開いたのではありません。また坐禅は無念無想、何も考えずただ坐っていろと言いますが、お釈迦さまはさとりの内容を坐禅しながら徹底的に考えたのです。またそれは単なる瞑想ではありません。もう一度画像を逆展開します。お釈迦さまは坐禅などの苦行が無駄だと分かると、一樹下に端坐して静かに人生の苦の根源を内省しました。それで宇宙人生の真理を覚ったのです。
その真理とはあとでまず簡単に述べましょう。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その6-
苦行の釈迦 お釈迦さまは世の無常を深く感じ、出家の覚悟を決め、多くの修行者が行を行う中インドのマガダ国に向かいました。当時マガダ国にはア―ラ―、ウッダカという2人の優れた修行者がおり、ともに高い禅定を得て精神統一を容易に行いましたので、多くの弟子が付きました。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その5-
お釈迦さまは世の無常を深く感じました。幸福の中にも、母后の死亡を思い出すこともしばしばでした。年中行事として盛大な農耕祭では、田畑の虫や鳥などが、弱肉強食の争いをみせています。 続きを読む
釈迦如来、お釈迦さまの話-その4-
前六、五世紀のお釈迦さまの時代、インドの風習で子が生まれるとその子の運命を占相師に見て貰うことがありました。これは仏教が広まった国ぐにでは誕生お宮参りの風習となったようです。お釈迦さまは子供のころより優れた資質を持っていたことも事実のようです。
釈迦如来、お釈迦さまの話-その3-
お釈迦さまが紀元前6,5世紀ごろ実在した人物であることは、19世紀末にお釈迦さまの生まれた北インドの小国カピラ国都城にほど近い地の同国領内にあるピプラワ-から発見された舎利(お釈迦さまの遺骨)を納めた壷の蓋(ふた)に書かれた古代インド文字の文章からも確認されています。この舎利の一部は現在日本にもわけられています。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その2-
お釈迦さまを仏像の話しとして取り上げていますが、ここで仏像について一般に誤解があるようなので、正しい考え方を述べておきましょう。その誤解は仏像は仏教徒の信仰の対象だ、仏教徒は仏像を拝んでいる、礼拝しているということに関係するものです。信仰の対象は人間によく似た仏さまですから偶像だといい、またこれまでも本講座で種々の仏像を取り上げてきましたから仏教は多神教という主張もあります。でもそういう見方は絶対正しくありません。ただ、時代により地域によりそうした仏像の偶像的傾向が現れ、弊害が蔓延ったことは有ります。実際、お釈迦さまの国インドには土俗的な宗教にヒンドゥ―教があり、それは多神教で偶像崇拝と言って良いでしょう。仏教は八世紀に最後の繁栄をみせた後に次第にヒンドゥ―教に取り込まれ、その一宗派として残りました。この時仏像は偶像になっていました。
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